師・先輩・同期・後輩
▼笠間一孝君逝く! 葬儀場正面に飾られた遺影(R7.6.9 代々幡斎場) 笠間兄が逝った。 小生の三学年後輩にあたり、濃厚な国士舘大学学生部時代を共に過ごした仲間である。 体育学部・柔道部の出身であるが、猛者ぞろいの国士舘柔道部にあって温和な顔立ちそ…
▼令和7年5月31日(土)/後輩快気祝い(相模大野「新福記」) 五月の晦日、言道部及び同じ横浜出身の後輩であるY君(後列右から二人目)の快気祝いに出席した。面子は写真の撮影者を含め7名。 会合を催す場合、いつも足元の明るいうちに帰宅できるようにと…
▼令和7年4月8日(火)鴨居鶴見川沿い遊歩道・自宅エントランスにて花見 例によって、年度末及び年度初めは町内会の業務に忙殺されていた。 令和6年度会計を締めて決算書を作成し、並行して令和7年度予算案を作らなければならない。 前者は前任者が作られたEx…
▼昭和48年7月_「日学同」神津島合宿における藤川先輩(前列左端)と小生(後列右端) 小生に兄貴と恃む人物が二人いる(た)。 一人は遠い昔に逝った田中崇志先輩(国士舘国防部/大民塾)。そして令和7年3月11日未明、もう一人の兄貴分である藤川晋之助(基…
▼令和7年2月23日(日) /天皇誕生日 宮内庁前に開設された記帳所 今日の吉き日、皇居で一般参賀が行われた。 間に合えば午前中のお出ましに合わせて参内したかったが、町内会のホームページ更新やら家事に時間をとられ、ギリギリ閉門時間に間に合わなかった…
▼言道部部歌熱唱! 令和6年度国士舘大学楓門祭において恒例の歌唱祭が開催され、本年初めてプログラムに言道部部歌が加えられた。熱唱するは各倶楽部に所属した卒業生有志の面々。言道部部歌は冒頭の詩吟に合わせて武道の型が演ぜられるが、吟詠は言道部OB松…
標記について短く記しておこう。 過日、大学後輩から懇親会への誘いがあった。 会合は衆議院議員総選挙投票日の前日である。 同日、投票事務従事者の委嘱を受けていた小生は打ち合わせや会場準備のため招集される予定であり、残念ではあったが参加を見合わせ…
酷暑の八月から九月となり、もう三週目に入ろうとしている。 朝夕は多少凌ぎやすくなり、セミの鳴き声は、クマゼミ(小生が子供のころは横浜にいなかった!)のピークを過ぎ、八月下旬あたりからミンミンゼミの合唱にツクツクボウシが仲間に加わるようになっ…
▼菩提寺「専心寺」本堂 令和6年2月11日(日) 建国記念の日 菩提寺で親父殿の七回忌法要を行った。 遡ってちょうど1ヶ月前、後輩から、やはりこの日11日に会合(OB会)を予定したいとの打診があった。同日に二件の予定をセットすることは避けたいところであ…
▼リフォーム完成!(横浜のトカイナカ神大寺。前庭には狸やリスが出没することも…) 前回の投稿から、ずいぶんと長いインターバルを置いた。 ブログ主宰者が小生であることを知っている方面からは「何かあったのですか?」などという声も複数聞いた。一応元…
前回の投稿が6月26日だから、もう一月半以上、何も書いていない。 まだ外構工事を残しているが、とりあえず母屋のリフォームが完了し、神大寺(自宅)に戻ってきたのが7月1日。それから「物」の整理と併行して月末に迫った町内会の盆踊り準備と実施、事後処…
浦和から友人がやってきた。 「崎陽軒」本店で待ち合わせし、久しぶりに呑むことになったのである。 このブログでも古い友人(同期生)を何名か取り上げた。 小生、付き合いは広い方だと思っているが、こんな面白い男も珍しいので少しだけ紹介してみる。因み…
先週の火曜日、週一の学援隊の当番を終え、リフォームの進捗状況を確認しに自宅へ向かった。 まずは郵便受けをのぞく。 いつもまとめて届けて貰っている1週間分の新聞の束を引き取った。 今、戸塚では新聞のない生活を送っているが、毎朝、紙媒体の記事を読…
▼大船駅西口陸橋から望む大船観音 今日もウグイスの鳴き声で目覚めた。 戸塚は長閑(のどか)なところで、ウグイスの他、いろいろな野鳥が一日中鳴いている。 ここの生活も早4ヶ月目に入った。 散歩の距離も延びて、最近は遠方まで歩いてバスで帰ってくると…
▼齋藤 永(ひさし)会長挨拶 令和5年3月18日(土)14時、国士舘大学同窓会第43回神奈川県支部総会が開催された。 前稿までの流れで「戸塚」の話題から入るが、仮住まい先から本日の総会会場のある本厚木駅(小田急線)までどう行くか !? 最寄駅は戸塚駅(JR…
今日の吉(よ)き日は 大君の うまれたまひし 吉き日なり 今日の吉き日は みひかりの さし出たまひし 吉き日なり ひかり遍(あまね)き君が代を いはへ諸人もろともに めぐみ遍き君が代を いはへ諸人もろともに 若い人には馴染みがないだろう。 明治26年に制…
▼柿島屋入口のディスプレイ 去年の暮れの話しだが、行きつけの柿島屋でのことなので一筆書いておこうと思う。 12月18日(日)、大学同級生の息子(本学政経学部卒)と彼が学生時の担当学生主事の三者で呑む機会を得た。同級生は広島県在住で子息が受験した時…
元学長三浦信行先生(前列左から2人目、言道部)を囲む面々は、国士舘大学国防部OB会の諸氏である。 平成27(2015)年4月25日、世田谷校舎10号館前で撮影されたものである。 当該写真が、林田先輩に関する投稿(リンク参照)に書いた、OB諸氏の了解を得られ…
令和4年11月(2・)3日(木) コロナ禍ではあるが、国士舘大学楓門祭が3年ぶりにリアルに開催された。 11月3日は昭和前期までは「明治節」(明治天皇生誕日)として、明治天皇の遺徳を偲び明治時代を追慕する目的で制定された祝日であった。小生が入学(S48)…
令和4年10月31日(月) この日(昨日)、溜池山王駅から程近い「アレグリア赤坂」で、小生が、もう50年も前からのつき合いになる藤川晋之助氏の「第二の人生を励ます会」が開催された。 国士舘大学に同期で入学したが、年は一級上。通常同期で入学すると年が…
資料が無いままに書いている。 記憶違いがあればご容赦願いたい。 国士舘大学応援団が創部されたのは、恐らく文系の学部では最も古い政経学部が開設(S36年)された以降であろうと思う。とすると、小生が所属した言道部とほぼ同じ時期になるだろうか。 その…
まずは上の写真をご覧いただこう。 以前、本ブログの別稿(リンク参照)に掲載した写真である。 昭和61(1986)年3月、国士舘皇居勤労奉仕団はじめ各奉仕団が、皇居宮殿北車寄(きたくるまよせ)にて、天皇陛下(「昭和天皇」)の御私謁を賜った場面である。…
先日、福岡県在住の林田俊一先輩より、ご著書(「感動感謝 ~我以外皆我師~」)をご恵贈いただいた。 林田先輩は、国士舘大学法学部の4期先輩であり、小生が入学した昭和48年の3月に入れ替わりで卒業された。その後、本学経済学研究科(修士)及び亜細亜大…
令和4年9月29日(木)昼 於.銀座アスター「プティシーヌ町田」 小生退職後、仲間うちの小さな会合には年に複数回参加しているが、写真のようなまとまった人数による会合への出席は初めてのことかもしれない。 しかも幹事は池田先生と小生。 主賓は大西貫也先…
8月15日(月)朝 靖国神社での待ち合わせ時間に遅れないように準備をしながらも、産経新聞の「終戦の日」関連の記事には時間をかけて目を通した。 一面を見ると署名入りで榊原智氏の記事(リンク参照)が掲載されていたが、その肩書きが論説委員長となってい…
大学時代の同期生から郵便物が届いた。 過日、彼は志を以て中学校の「熱血教師」から高知県議会議員に転身し、以来、定期的に県政報告を送ってくれるのである。 この年になると人間関係も変遷を重ね、消息のわからなくなった同級生や先輩・後輩も多い。それ…
▼田中崇志遺稿追悼集「日本の子」 前回の投稿から2週間以上が経過した。 重いブログテーマと向き合っていて筆が進まなかったことと、もう一つは現在関わっている町内会ホームページの充実化に対応していたことがこの空白の理由である。 後者についてはご関心…
例えばウクライナ情勢について詳細な情報を得ようとするとき、地上波の報道は全く満足いくものではない。BSの反町氏(フジ)や松原氏(TBS)などのかなり纏まった時間の報道番組などはまだましな方だが、それでもゲストやコメンテーターの発言に傾きを感じた…
現役時より鞄(ビジネスバック)を愛用してきた。 現在もショルダーバックを日常使いしている。 なんで?と思われるかもしれないが、家の中で部屋を移動する時、このバックも一緒に移動する。何時もバックが手元にあるのだ。 何が入っているのかと言えば、ス…
実は47都道府県の内、沖縄県のみ訪ねたことがない。 もう一県、宮崎県にも行ったことがなかったが、何年か前、グループで大学の先輩を訪ね、ようやく当地を踏んだ。(余談だが、鬼の洗濯板で有名な青島神社に参拝し、夜間、漁船の船縁で飛んでくる飛び魚を網…