資料が無いままに書いている。
記憶違いがあればご容赦願いたい。
国士舘大学応援団が創部されたのは、恐らく文系の学部では最も古い政経学部が開設(S36年)された以降であろうと思う。とすると、小生が所属した言道部とほぼ同じ時期になるだろうか。
その応援団が、ある事件により解散の処分を受けたのは、確か昭和55(1980)年。小生が大学職員となって3年目のことである。
当時、学生部に所属していた小生は、処分が下された「課外活動指導委員会」(各学部学生主任〔教員〕と学生副主任〔学部事務長〕で構成される全学協議体)に事務スタッフとして関わっており、審議の場に立ち会っていた。
その後(かなり後年)、あのときの結論は「解散」だったか? 「永久解散」だったか? などという議論が度々話題(論争!?)になることがあったが、前述の委員会に立ち会っていた小生は、紛れもなく前者であると認識している。このことは後でも触れる。
この決議により応援団は、大学の「公認」を取り消されることになったが、濃密な人間関係で構成される学生集団が雲散霧消するわけもなく、その後応援団は、指導者がいないままに未公認の状態による日陰の活動が長く、長く続くことになる。一方、応援団OB会からは復活の働きかけが、継続的に大学の上層部に為されていたと聞いている。
時代がずっと下って、
小生が鶴川校舎(当時の呼称)の法学部事務室に勤務していた平成6(1994)年頃だったと思う。
当時、世田谷校舎へ通学する綿引聖(法)、今井祐亘(政経)、黒田州司(法)の3名(いずれも4年生)が小生のところへ訪ねてきて、応援団を再建したいという相談を持ち込んできたのである。彼ら3名はこれまで応援団の活動に関わったことのない学生達であった。
応援団のOBでもない小生のところへ何故来たか。
疑問に思いながらもそのことを当方から尋ねたことはなかったと記憶している。何かを為したいという学生の心情は、それが純粋なものであれば最大限尊重されるべきもので、職員であり、本学OBである自分の立ち位置は、それが実現できるように助言、助力するべき立場であると考えていた、と思う。
かなり話し込んだ。
ただその時、小生は、応援団が解散となって既に10年以上の月日が流れており、OB会の意向もある、硬派系のクラブに対する学内情勢等から考えてもかなり厳しい道である旨を話したと思う。
が、その後彼ら3名は、2度、3度と小生のところに通って来るようになるのである。
三国志好きの小生の頭によぎったのは、劉備玄徳が関羽、張飛を伴い、三顧の礼を踏んで諸葛孔明を軍師に迎え入れた故事である。そして「桃園の誓い」。
人が、人生の中で大きな決断をしなければならない瞬間は何度かあるものだが、この時の自分はその様な状況にあったと思う。
ここで火中の栗を拾うか否か。
結論は決まっている。
拾うことになるのである。
その時から、公認申請(平成7年度申請)の準備が始まった。
課外活動団体はまず「愛好会」に登録申請して大学の認可を受け、複数年の活動実績を積んで、申請により「同好会」「部」へと昇格していく。
当時の規定では、愛好会に登録するには指導者(学内の教職員)が1名いれば良いことになっていたので、小生が部長となり、学生代表者、部員10名以上、規程、活動計画等の要件を整えた。団体名は、色々考えた末、クラブの活動内容から「スポーツ応援会」とした。
全てを書面に整え大学の窓口に提出し、課外活動指導委員会の審査を受けた。
果たして結果は…
なんと「否」であった。
後で理由を確認したところ、当該団体(スポーツ応援会)の登録には指導者2名を要する、ということであった。あり得ないことだが事後法が適用されたのである。しかも、再申請も認められず、平成7年度からの公認団体としての活動は、事実上、不可能となったのである。更に、この時も「解散」か「永久解散」かの議論があったやに聞く(伝聞だが)。
当然、小生は憤慨した。
公認申請に全精力を注いできた綿引、今井、黒田の3名も、このような筋の通らない決定を下されて泣くに泣けない…。否、泣いていた。一途な気持ちが大学に通じなかったのだ。3人は男泣きに泣いていたのである。
以上が新生応援団の前身となる「スポーツ応援会」の公認申請時の顛末である。
翌年(平成7年)3月、今井と黒田は卒業していった。
綿引は、翌年度の公認申請に再チャレンジするため、自らの意思で大学に残ることになった。
(端折るが…)
そして、遂に、平成8年度公認申請において「スポーツ応援会」は愛好会として公認を得ることとなった。今井、黒田の両名から後事を託された綿引が、2名の指導者及びその他の要件を整え公認申請を行い承認されたのである。
3人の志は結実し、今日の応援団に発展する基礎を作ったのである。
宇田川久雄兄の葬儀で久しぶりに今井祐亘と再会した。
因みに、今井祐亘は今井三兄弟のまん中で、三兄弟全員が国士舘大学応援団に籍を置いた。
葬儀は厳粛で悲しみに溢れていたが、宇田川兄の人柄からか、控え室はさながら同窓会の様相であった。小生も何十年ぶりに多くの後輩達に再会することができたが、それは宇田川兄が引き合わせてくれたものと思っている。
あらためて宇田川久雄兄のご冥福を祈りたい。合掌