隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

師・先輩・同期・後輩

詠進歌3_締め切り直前、推敲と添削を経て漸く清書に至る!

▼「詠進歌」清書(墨書)! 令和4年歌会始のお題は「窓」である。 詠進要領は宮内庁ホームページ(リンク参照)のとおり。 詠進の期間はお題発表の日から9月30日までとなっている。例年のペースであれば、8月末日ぐらいまでには推敲を重ね、先輩であり和歌の…

国士舘OB列伝_「仏像を刻む心」鈴木善一先生との出会い(S60/8.4)

▼鈴木善一先生著書『これからの日本 風雪五十年』(見返しに武者小路実篤氏の賛詞と棟方志功氏の賛画が掲載されている)▼目次 ただ一度だけ、お目にかかった先輩のことを書き記しておこうと思う。 鈴木善一(ぜんいち)先生。 国士舘高等部(T8.11.開設)出…

酒と肴_新横浜の"昭和"漂うあじわい横丁「まぐろや」&「江戸銀」で一献!

▼新横浜駅から0分あじわい横丁「まぐろや」 ▼横丁一番奥の「江戸銀」 漸く、横浜でも時間制限付き(90分)、人数制限付き(4人)で飲食店のアルコールが解禁されたので、昨日(R3.7.6)、この3月国士舘を引退した伊井兄(空手道部)と久しぶりの4時から飲み…

国士舘大学「言道部」で鍛えられた日々_弁論大会・全国遊説・選挙応援 etc.

中・高・大とかなりの精力をクラブ活動に投入してきた。そこでは、正課では学び得ない多くのものを学んだように思う。 まず、六中(横浜市立六角橋中学校)時代。 入学時、比較的運動量の少ないと思われた卓球部を選んだつもりであったが、完全な思い違いで…

追悼!_柴田徳文先生を偲ぶ

▼円覚寺 黄梅院(R3.6.18撮影) 過日(R3.4.11)、国士舘舘長柴田徳文先生(S44卒・政経5期)の告別式に参列した。 訃報はいつも突然にやってきて打ちのめされる。 まさに、"創立の精神を護持し、本学を表徴"(「国士舘寄附行為」)される柴田徳文舘長がご逝…

富士山2_国士舘大学応援団 富士山頂にて舘歌斉唱!

inkyoclub.hatenablog.com ▼H17.8.3_富士山頂 浅間大社奥宮 久須志神社前にて 前列左より小生、小倉先生、曹さん、大西先生(富士登山歴34回) 山開きが近づいてきた。 前に書いたが、小生現役時、縁あって国士舘大学の課外活動クラブである「応援団」の顧問…

日本海海戦(M38/5.27-28)の日に戦艦「三笠」を訪ねて

R1.5.27_三笠公園&戦艦「三笠」 初めて三笠公園(横須賀市)を訪ねたのは退職した年(H30)である。 日本海海戦を戦い、バルチック艦隊を完膚なきまでに撃破した連合艦隊の旗艦であった戦艦三笠を一度も見ていないことに心残りがあった。 元々、海(船)が…

国士舘大学「望嶽寮」における修行の日々を顧みて

町田キャンパス正門(旧南門)/寮全景(正面がA棟)/寮食堂(昔の面影はない) 今日も鶴川へ行ってきた。 散髪は、国士舘大学町田キャンパス(鶴川校舎)の厚生施設を利用している。近くの理髪店へ行けば良いではないかと思われるかもしれないが、馴染ん…

5月15日に寄せて_私の上司・池松武志先生と五・一五事件

S52_池松先生(左から2人目)を囲んで学生部鶴川分室の面々/S52_池松先生と小生 小生は、昭和52年3月、国士舘大学を卒業し、同年4月から職員として母校に職を奉じた。配属先は鶴川校舎(現「町田キャンパス」)の学生部鶴川分室、所属長は池松武志先生(故人…

酒&肴_町田の老舗「柿島屋」で桜肉を食す

昨日、今年国士舘を定年退職した元同僚の伊井兄と、久しぶりに町田「柿島屋」(かきじまや)を訪ね、四時から飲みをやった。 柿島屋といえば町田一の老舗。まだ横浜線も小田急線も開通していない、現在同店で提供されているキリンビールもまだ販売されていな…

国士舘OB列伝_技斗番長・高瀬將嗣兄を偲ぶ

令和2年5月25日、高瀬將嗣兄は逝った。 本記事を公開するには少し躊躇いがあったが、先日、ご内儀より、高瀬道場創立50周年記念公演(R3.5.8)のご案内をいただき、故人を追想することも一つの供養と考えアップすることにした。 高瀬兄は小生と国士舘大学の…

国士舘OB・OG_松陰神社前「くら」で後輩の定年退職を祝す!

いよいよ年度末。 コロナ禍ではあるが、今季、国士舘大学職員として定年を迎える福原一成君(法・少林寺拳法部OB)、伊井克己君(法・空手道部OB)の退職を祝う会が、山本英雄氏(体・国士舘大学空手道部師範)の音頭取りにより松陰神社前「くら」で開催(3.…