8月15日(月)朝
靖国神社での待ち合わせ時間に遅れないように準備をしながらも、産経新聞の「終戦の日」関連の記事には時間をかけて目を通した。
一面を見ると署名入りで榊原智氏の記事(リンク参照)が掲載されていたが、その肩書きが論説委員長となっていることに気がついた。そうか、榊原さんは論説委員長になられたのかと得心し、過ぐる日、国士舘大学「極プロ」(極東国際軍事裁判研究プロジェクト)の関連で、大学でお目にかかった時のことを思い出した。
榊原さんには色々とお世話になり、勉強をさせて頂いた。
記事を読みながらその内容に一々納得し、後段の「分水嶺に立つ自覚持て」に至り、そこに書かれている内容を深く噛みしめた。
靖国神社へは、いつもの最短時間コースで、新横浜から新幹線で東京駅へ、そこから地下鉄東西線で九段下まで行き、九段坂下から大鳥居、第二鳥居と進み、待ち合わせ場所の手水舎(ちょうずや)を目指した。
11時30分、靖国神社の境内で諸活動に携わっている一部OBを除き、大西(元)団長、堀田先輩以下、全員が集合した。
ここで偶然にも本学職員OBの植田英範氏にお目にかかることとなった。
これにはびっくり。まさかこのような場所で植田さんと行き会うとは、と思う一方で、OB・OG、或いは学内ご関係者をも含めて、本日の参拝者の中には多数の国士舘関係者がおられるのではないかと思いが及んだ。たった今、国士舘高校のOB有志多数が昇殿参拝を行っているとの情報もどこからともなく伝わってきた。
『国士舘百年史』を見ると本学在学中の専門学校生が学徒出陣で多数出征されたという記録や回顧談が掲載されており、戦没された諸先輩方は多い。
日本のために尊い命を捧げられた英霊を顕彰し追悼することは、後世に生きる者が踏み行うべき自然な行為であり、道であり、それは、国家の柱石となる人材を育成するとしてきた国士舘建学精神の本質にも関わることだと思うのである。
そのように考える方々が、政治的見解の有る無しやイデオロギーを超えて、自然に鎮魂の社、靖国神社を訪れ御霊に向き合っているのだろうと思う。
日差しが真上から射す中、小一時間ほど列にならび順番を待った。
ようやく社(やしろ)の正面に立ち、作法に従い参拝。心の中で英霊と対話し「靖国に眠るすべての御霊安かれ」と祈り靖国神社をあとにした。
恒例の直会(なおらい)である。
今年は格調高くアルカディア市ヶ谷(私学会館)のレストランに席を設けた。
冷たいビールで献杯。食事をいただきながらいつもと違う雰囲気で会は進行した。
今般、いつもの顔ぶれは揃わなかったが「一期一会」、今日の機会は二度と繰り返されることのない出会いであることを心に刻み、別れを惜しみながら散会した。
▼私学会館エントランスにて