令和4年9月29日(木)昼
於.銀座アスター「プティシーヌ町田」
小生退職後、仲間うちの小さな会合には年に複数回参加しているが、写真のようなまとまった人数による会合への出席は初めてのことかもしれない。
しかも幹事は池田先生と小生。
主賓は大西貫也先生。
元国士舘高校教諭(国語科)であり、小生の出身クラブである言道部の7期先輩であり、やはり小生が関わった国士舘皇居勤労奉仕団の元団長である。しかも小生の高校の恩師、三宅先生(やはり国語科)とは知己の間柄である。その大西先生がこの10月に、現在お住まいの横浜を離れ、ルーツでもある岡山に隠棲されることとなったのだ。
大西先生のことについてもう少しふれておく。
親父殿(大西一也氏)は元警視庁警部(特高)。
終戦の年の8月22日、十四烈士女が壮絶な自決を遂げた愛宕山事件の現場で捜査(説得工作等)を担当された歴史の証人(詳細な手記を残しておられる)なのである。後年、町田市議会議員となられ、言道部はクラブを挙げて選挙応援させていただいた。以前、本ブログに書いた高瀬道場の高瀬政嗣君(言道部2学年後輩)なども選挙カーに乗り、「言道綱領」を下地にして声を張り上げて街宣活動していたことを思い出す。
大西先生のご兄弟は3人。
上から信也氏、ご本人、徹也氏。
3人とも国士舘卒業であり親父殿の教育方針がうかがえる。信也氏は警視庁から現在都議会議員、保守論客である。徹也氏は法学部で小生と同級でありやはり理論派であった。
大西先生とはこのように因縁浅からぬ関係なのだが、長く暮らした東京、神奈川を離れられるという。これまで諸活動の拠点を中央に置かれてきたが、在野で世に棲む日々を送られるのか…。ご事情はあまり詳しく伺っていないが、聞かずとも何となく察せられるところはある。
ただ、本来逆かもしれないが、中央に残る者としては寂しい限りであり、この機会にご関係者にお集まりいただき「大西先生を送る会」を開催することとなった。20名前後になる予定だったが、それぞれにご事情があり、欠席された方々からもご丁寧なお言葉をいただき宴の中でご披露させていただいた。ご参加者全員からはつきない思い出話、激励の言葉などをいただき楽しい時間を過ごした。
恐らくこのメンバーで一堂に会することは今後無いものと思われる。この会は生涯に一度限りの集まりとなるであろう。その意味において、万感の思いを込めて諸先生方のご健康を願い、そして大西先生のこれから始まる新しい生活への取り組みを応援し、ご多幸を祈りたい。