(多難な年明けとなりましたが…)
新年あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
▼富士遠望(1月1日/片倉町高台より)
令和6年元日
朝からお天気アプリを見ながら雲の具合を気にしていたが、風が雲を吹き飛ばしてくれたようで、地元の富士見スポットから富士山がよく見えた。
近隣に富士見スポットを三ヶ所設定しているが、一ヶ所は住宅が建ってしまい残る二ヶ所を自転車で回ってその雄姿を写真におさめた。
一富士二鷹三茄子。
日本人はおそらく皆、シィンプルに富士山が好きなのだと思うが、母校国士舘の館旗(校旗)が富士と旭をあしらったものであり、また大学一年時、一般教養の日本史(「水戸学」/片山 巍先生「日本史をどう観るべきか」成文堂)の授業で学んだ藤田東湖の「* 正気(せいき)の歌」の一節(* 以下)が、はっきりと記憶の中に刻まれていることから、以来、小生にとって富士は特別なものである。
* 天地正大氣(てんちせいだいのき)
粹然鍾神州(すいぜんとしてしんしゅうにあつまる)
秀爲不二嶽(ひいでてふじのがくをなす)
巍巍聳千秋(ぎぎせんしゅうにそびゆ)
その富士山だが、実は登ってみると瓦礫の山(静岡生まれの親父がそう言っていた。刷り込みもあったが、小生の初めての富士登山の印象でもある)で、"富士山は遠くから仰ぎ見る山で登る山ではない"という言説もわからないではない、と思うこともある。
初めて富士山に登ったのは40代になった頃だったか。
当時顧問をしていた応援団の富士登山合宿であったが、一合目(富士吉田口の"馬返し")から登り、"大砂走り"を御殿場口の五合目まで文字通り駈け降りてきた。体力の全てを使い果たし、その時は、もう二度と富士山には登らないだろうと思ったものだった。
ところがである。
どうしたことか、翌年の富士の山開きの頃になると体がウズウズしてきて、またあの頂(いただき)に立ちたいと思うようになってくるのである。不思議なものである。その様にして、12回、富士登山合宿に参加し、1回は大雨と落雷で途中で断念したが、11回の登頂を果たした。
昨年、89歳の女性が登頂したとの記事をネットで見た。これまでの登頂最高齢者は101歳である。以前も何処かの稿で書いたが、年頭に当たり、もう一回登頂を果たしたいと、富士を遠望しながら(控えめに)思っているところである。