隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

ブログ開設1周年に寄せて_「健康管理」に関わる雑感!

inkyoclub.hatenablog.com


 ブログを開設し、「初めての投稿」から今日(R4/2.15)で満1年を迎えた。

 1年間、特にテーマは決めず、色々と雑記的に書いてきた。

 今後も過去のこと、現在のこと、これからのこと等について気の向くままに書いていこうと思うが、カテゴリーを見ると「健康管理」に関する記事が2件と少ない。

 健康については、一応人並みに関心はあるし、実は三日前、洗顔の際にギックリ腰をやってしまい(何年かに1回はやる!)、まだ椎間板がピリピリしているので今も安静にしている。健康であればこそ人生何でもできると痛感しているところであり、本日は、自己の健康管理(問題)について少し書いてみようと思う。

 小生、現役時(国士舘大学職員時代)は基本的に健康で、特に大病をしたことはなかったが、よりによって、早期退職を決意した年(H29年)に人生2度目入院をする羽目になってしまった。それも1ヶ月間も…。
 因みに、1度目の入院は小学生高学年の頃で、盲腸で1週間入院したときである。

 盲腸と書いて、はたと思い出したことがある。
 いきなり本筋を外れ余談で恐縮…。

 以前、現役時の上司で池松武志先生のことについて書いたが、そのまた上司で小熊康之先生という方(当時学生部次長: 学生部のナンバー2)がおられた。旧軍大日本帝国陸軍)出身で、満ソ国境ノモンハンソ連軍と戦ったというの人である。の人ではあるがの人でもあり、ノモンハンの話しを何度か伺ったことがあるが、いつも眼を真っ赤にされ、激戦の様子を熱っぽく語っておられた。ご自宅で奥様の手料理をいただきながら話しを伺ったこともある。池松先生といい、国士舘には近現代史の貴重な生き証人がたくさんおられた。

 そのような思い出話しと共に、次のような話しをしてくれたことをハッキリと覚えている。それは小生がまだ職員になる前のことだが、小熊先生が盲腸になり、手術のため1日だけ仕事を休んだのだそうだ。俄には信じがたいが、つまり、手術の翌日には出勤したということなのだ! 後年、そのことを悔しがって、「あの時は1日休んでしまった」(手術で休むのは当然だと思ったが…)と、やはり涙ぐみながら小生等に語っておられた姿を思い出す。

 そのような方が我が上司である。
 当時、小生等は私用で仕事を休むようなことはなかったと記憶している。風邪ぐらいで休むようなこともない。有給休暇という制度があることを知ったのもずっと後年のことだ。そのような時代だったのである。

 話しを戻す。
 小生、早期退職を決意した平成29年の6月19日から7月17日までの1ヶ月間、緊急入院することとなったのだが、結論から言うと、胆嚢炎胆管炎という診断であった。入院する同日、何か内臓に異変が生じたような、初めて感ずる嫌な痛み・気分を覚えている。

 小生が入院先の病院から職場に発信したメール記録が大学メールシステムの奥深くから発見されたので、以下に掲載し説明に代えさせていただく。このような情報を公開するのはどうかとは思ったが、リアルに当時の状況を伝えており、自身の記録とするためにも書いておくこととした。


【H29/7.3メール】
●●(課員)殿先程、担当医から説明があり、明日、内視鏡による石除去の手術を行うこととなった。それと、二転三転しているが、来週、胆嚢摘出手術を行う可能性が浮上してきた。今週の消化器科と外科の調整で決まるとのこと。以上連絡しておきます。

【H29/7.5メール】
●●殿(Cc: 学部長)業務報告拝受。昨日の内視鏡手術により本日は気怠い一日であった。胆管出口を切開し石をかき出したようで、終日みぞおちの奥の方がモヤーと重たいような感じが続いている。手術そのものは、この間の手術と違い、点滴から麻酔薬を注入するもので、段々意識が薄れていく感覚が快感になっている。先程、担当医から外科との調整で、来週、胆嚢摘出の手術を行うとの連絡があった。曜日は未定。とすると、退院は再来週ぐらいではないか?と予想している。
【H29/7.12メール】
●●殿暫く電話を否としたい。手術は無事終わったが、麻酔が切れてから一秒一刻を激痛に耐えている。後何日我慢すればいいのかばかり考えている。6時間毎の沈痛剤の点滴だけが楽しみ。


 当時のこのような状況下、これは職場復帰は不可能ではないかと病院のベットの上で真剣に考えていた。
 …が、人の体とは不思議なものである。

 人間は外傷を負っても、時間をかけてその傷を自らの力で治していくように、体の中(内臓)の傷も同じように、自らが持っている自然治癒力が治していくのである。

 一日一日と経過するうちに、不思議にも少しずつ体が癒えてきて、段々と体力が回復していく感覚を覚えるのである。この時は、人体(人間)とは大したもんだと心の底から思った。

 退院後、しばらく休みをもらったが、やがて職場復帰を果たすことができた。

 そして、上司、部下(課員)、関係部署等々の力添えを得て、年度の事業計画も全て終えることができ、無事に年度末の退職を迎えることができたのである。

 今振り返れば、ただただ感謝あるのみ

 

 退職後…、
 体は年相応に多少のガタが来ており、若い頃とは違うが、もう一度(12回目の)富士山に登るという目標がある。

 日々、自身の体と向き合い、主治医の言うことも良く聞き、健康維持に努めていきたいと、素直にそのように思っている。


出番を待っている富士登山用三足目の登山靴(伊スカルパ社製)
 国士舘大学応援団の富士登山は富士吉田口馬返し(1合目の手前)から登って、大砂走りを駈け下り、御殿場口5合目まで降りてくる。初めての富士山はスニーカーで登ったが、経験を経て足回りはしっかりと固めた方が良いと学んだ。

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