隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

EOSの日_縁切寺から黄梅院へ!

北鎌倉 縁切寺東慶寺)山門

 今日鎌倉へ行ってきました
  略
 源氏山から北鎌倉へ

 あの日と同じ道のりで
 辿り着いたのは縁切寺

 『縁切寺』(さだまさし)の一節である。
 何時も思いつきで行動することが多いが、地元の主婦連に誘われて通っているカラオケの練習のつもりで口ずさんでいたら、「そうだ鎌倉へ行こう!」と心が動いた。

 明治初年まで駆け込み寺であった東慶寺は、元寇を防いだ八代執権北条時宗公夫人が出家して開山した北条家ゆかりの寺社であるが、かつて国士舘創立者柴田徳次郎先生はここに眠っていた(現在は円覚寺黄梅院に改葬)。

 国士舘大学第1回「主将合宿」(昭和57年3月、鎌倉・日本学生会館)を実施した際、見学コースに組み入れた寺院で、参加したクラブのリーダー全員(約70名)が墓所に詣でた。

 因みに、主将合宿は課外活動を主管する学生部が、大学と学生の円滑な関係及び学生相互の交流を図るために企画した行事であり、入職5年目の小生が立案の責任者であった。国士舘広報(S56.5.1号)を確認すると、当時、学生課長は空席で若手職員を中心に喧々諤諤の議論の末、実施に漕ぎ着けたことを記憶している。背景には昭和53年以降の国士舘の状況があるのだがここでは書かない。

 歌詞に「~今日のあの町は/人影少なく/思い出に浸るには十分過ぎて~」とあるが、観光日和ではあったが平日であり北鎌倉に人影は少なく心静かに参拝することが出来た。

 退所する際、東慶寺山門前から見える向かいの山は円覚寺である。
 北鎌倉の自然が美しい。

 横浜鎌倉線を少し北鎌倉駅方向へもどり、横須賀線の踏切を渡ると円覚寺山門である。
 山門をくぐり真っ直ぐ山を登り、最奥にある黄梅院を訪ねた。

 円覚寺もそんなに混みあっているという風ではなく、まだ上手に鳴ききれない鶯の鳴き声を耳にしながら静かに墓所に詣でた。

円覚寺 黄梅院