隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

男厨_おかずにもなるたっぷり野菜のコンソメスープ

下準備

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 おかずになるスープ系の料理をよく作る。
 になり、おかずにもなる。一石二鳥というわけだ。
 しかも時短料理。
 冬だと肉じゃが味噌汁などは小生の十八番である。
 が、このシーズンはコンソメスープだ。
 それも野菜をたっぷり入れる。

 それでは作ってみよう。レシピは次のとおり。

準備1
 ジャガイモ2~3個、ニンジン1本、タマネギ1個、キャベツ1/4個。(写真上左)
 ジャガイモはまず半分に、次に1㎝幅に切る。ニンジンは太いところは1㎝幅で半月切り、細いところは輪切りで。タマネギは縦半分に切り更に1㎝幅に切る。キャベツはざく切り。(写真上中)

準備2
 ベーコン150グラムを1㎝幅に切る。ウィンナー4本を1㎝幅に切る。(写真上右)

調理
 大きめの鍋にバター20グラムをとかす。
 すかさず②を入れ、更に①を投入しよく絡める。
 次に水1000㏄とコンソメのキュービックを3個(~4個)を入れ、約20分ほど煮込む。
 塩と黒こしょうで味をととのえて完成。(写真下)

調理

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完成

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陸上自衛隊「相馬原駐屯地」体験入隊(S49/7.23-26)で学んだこと

S49.7.26_陸上自衛隊相馬原駐屯地体験入隊にて(小生最前列右端)

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 アルバムは実に思い出の宝庫である。

 写真の説明書きに「* 郷友連とともに」(*: 一般社団法人郷友連盟)とあり、日付は昭和49年723日~26日である。小生大学2年次(二十歳)、都内の他大生達と陸上自衛隊相馬原駐屯地」(群馬県)に体験入隊した時のものだ。

 当時小生は、国士舘大学言道部(いわゆる弁論部)に所属していたが、憲法問題、特に第9条(戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認)関連を弁論のテーマ(演題)としていたこともあり、自衛隊の何たるかを、理論ではなく実体験として知っておいた方が良いと考え参加したものである。

 もう半世紀近く昔のことであるが、その非日常的体験について思い出すままに書いてみる。

 (もっと長かったような気もするが、)日付を見ると3泊4日の日程であった。
 まず一番に思い出されることは、貸与された隊服と半長靴で、炎天下、全員の動作があうまで繰り返される基本教練歩調訓練(行進)であろうか。

 自衛隊では常に集団行動が基本となる。通常、移動する場合や、後から述べる食事や風呂に行く際も、隊列をつくり歩調を整え移動し、全て集団行動をしなければならない。

 本体験入隊の参加者は、全員が初参加の大学生達で、最初は前後左右の隊列をあわせることもできないレベルである。「気をつけ」、「敬礼」、「整列休め」(この言葉、始めて知った)、「休め」。そして歩調訓練(行進)。これが、全員の動作があうまで繰り返されるのである。

 歩調訓練の延長であったか、「連続呼歩?調」(これも始めて知った)というものがある。走りながら、歩調を合わせるために全員で掛け声を出すのだ。「イ-チ、と~れ、ニィ-、と~れ、サ-ン、と~れ、シィ-、と~れ」、「イチ、おー、ニィ、お-、サン、お-、シィ-、お-」、「イチニサンシイチニサンシ」。途中休憩を入れながら、終日、基本的な訓練を繰り返す。この積み重ねにより集団が作られていくのである。

 確か、所々で腕立て伏せがあった。遅刻すると腕立て伏せ、動作が合わないと腕立て伏せ、元気がないと腕立て伏せ、望嶽寮のように「○○」はないが、何かあると腕立て伏せだ。ペナルティーは腕立て伏せであり、体(筋肉)に覚えさせるのである。当の本人はかなりキツいが、結果的に体力向上にもつながっている。よくできていると今だから言える…。

 何日目だか、「徒手格闘」も体験した。
 自衛官の白兵戦、徒手格闘戦の戦技として編み出された格闘術で、他に銃剣格闘短剣格闘がある(と、Wikipediaに書いてあった)。防具なしで二人一組となり、約束で「突き」と「受け」を繰り返す訓練を行ったのだが、教官が鬼教官風であったこともあり、相手(敵を想定)に対峙し、やらなければやられると真剣に考えると、自衛隊戦う集団であるという本質がわかってくる。因みに小生、大学卒業後、銃剣道の世界に足を踏み入れることになるのだがこれは別稿で述べることにする。

 生活面についてもふれておこう。
 まずは、ベッドメイキング。これはかなりうるさい(失礼!)。ベッドは上下二段でスチール製の狭いタイプである。狭くても寝る分には快適だが、シーツの敷き方、毛布のたたみ方(バウムクーヘンのように!)、しわの無いように、ずれの無いように、ピシッ!完璧メイクしなければならない。それを起床から次の動作までの短時間の内に終えなければならないのだが、ダメだしもある(ダメだし程度はまだいい方らしい。ベッドをひっくり返されることも普通にあるそうだ)。
 何故うるさいか? 正解は上手く説明できないが、整理整頓に関係があるようだ。関連するが、最近、次のような言葉を知った。「生き残りたければ片付けろ!」。自衛隊式片づけ術である。興味ある方はネットを検索されたい。

 次に食事。これは美味かった。当時、小生は国士舘大学望嶽寮の寮生であったが、寮の食事は麦飯一汁一菜だったか?、そこに沢庵か生玉子がついて二菜だったか? 自衛隊白米に副食は確かバイキング方式で自身で複数選べた。訓練に見合う体力を維持するには充分な食事の内容で、訓練後の楽しみな時間であった。ついでに、風呂はテント内に設置された野営用の風呂に入った。食事もそうだが、自衛隊の行動は常に集団行動時間が決められており、ゆっくり湯につかっている余裕は無かったように思うが、ヘトヘトになった体を癒やすことはできた。

 以上のような日程をこなし、いよいよ最終日、これは自衛隊の計らいであったと思うが、戦車への乗車を体験させて頂いた。型式は覚えていないが、体験入隊の日付からいって、当時、最新鋭の74ナナヨン式戦車(コラム参照)ではなかったかと思う。これまた貴重な体験であり、良き思い出になっている。

 体験入隊を終え学業に戻った小生は、その後、前述したテーマを中心に、各大学の弁論大会に出場し、街頭演説も経験し、また全国遊説にも参画することになる。その際、わずか3泊4日の体験入隊であったが、経験に裏打ちされた確かな自信を得て、弁論に生かされたことは言うまでもない。相馬原駐屯地で汗を流した日々が懐かしく思い出される。


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「ゴルゴ13」第201巻発売! ギネス世界記録!

H30.10.4_ゴルゴ13川崎市市民ミュージアム
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 令和3年7月8日、さいとう・たかを氏の劇画『ゴルゴ13』が、「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」のカテゴリーでギネス世界記録に認定された旨、さいとうプロダクションから発表があった(認定日: R3.7.5)。

 ゴルゴ13というと、政界の愛読者として麻生太郎氏が著名であるが、小生も201巻全巻電子書籍)を所有しており、40年来のファンである。元々ゴルゴ13は『ビックコミック』(小学館)の連載もので、同書は、小生が20代の頃の愛読書であった。いつの頃か同書(漫画)は卒業したが、ゴルゴ13だけは、系列のコミック誌である『別冊ゴルゴ13シリーズ』などで継続的に親しんでいた。

 ご存じの方も多いと思うが、『ゴルゴ13』は国際情勢等を背景に、実在事件人物モデルにしたリアリティーを追求した大人でも楽しめる漫画である(と思う)。超A級スナイパーが世界を股にかけて、不可能と思われる狙撃を(ほぼ)100%完遂するというストーリー展開がシンプルに面白く、小生にとって同書は、頭を切り換えたり脳に休息を与えたりする時の一つのツールなのである。

 以前、「趣味2_Kindle読書への移行」の稿でも書いたように、引退後、「好きな分野好きな作家の読みたいと思う本」を気ままに読みふける一読書人になっているが、さいとう・たかを氏の『ゴルゴ13』は、漫画部門トップにランクインされていた。

 もう一度、同書を一巻から読み直してみたいと思い、全巻(電子書籍)を大人買いしたのは引退する年であったが、さすがにKindleでは小さすぎて読みにくいので、10インチのタブレットで読んでいる。

 さいとう・たかを氏が次々と作品を生み出して、それが201巻になったことは、いつまでも読み続けていたいファンにとってはうれしい限りである。84歳の同氏にはもっと長生きして書き続け、更にギネス記録を更新していただきたいと願っている。

 写真(上・下)は、平成30年に川崎市市民ミュージアムで開催された「ゴルゴ13」の様子であるが、ギネス記録に因んで再び特別展を催していただきたいと期待している。

H30.10.4_ゴルゴ13展(同上)
アーマライトを手にするゴルゴ13とさ
いとう・たかを氏

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さいとう作品の一覧

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さいとうプロのStaffルーム等見取り図

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www.saito-pro.co.jp

酒と肴_新横浜の"昭和"漂うあじわい横丁「まぐろや」&「江戸銀」で一献!

横浜駅から0分あじわい横丁まぐろや

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横丁一番奥の「江戸銀

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 漸く、横浜でも時間制限付き(90分)、人数制限付き(4人)で飲食店のアルコールが解禁されたので、昨日(R3.7.6)、この3月国士舘を引退した伊井兄(空手道部)と久しぶりの4時から飲み(3時半だったが…)に繰り出した。伊井兄は円覚寺墓参の帰りとのことだ。

 オシャレな居酒屋が多い新横浜で、駅に隣接する篠原口のあじわい横丁は、立ち飲み屋をはじめ、10軒に満たない昭和風のお店が密集しており、いつもサラリーマン風のお客さんで賑わっている。立ち飲み屋の周辺は新橋のガード下の雰囲気だ。

 今日のお目当ては「まぐろや」さんだ。
 この店は何回か通っているが、まず雰囲気はアットホームで、お姉さん達のいつも変わらぬ自然で感じの良い接客、これだけで常連さんが多いのが頷ける。それと新鮮海鮮一品料理、魚好きにはたまらない。

 実は小生、退職後、新たな趣味にしている料理の幅を広げようと、野菜料理と併行して魚料理を研究中である。家にお袋が使っていた出刃包丁があるので、いつかこれを操れるようになりたいと思っている。

 さて、今日はまず二人して、「ちょいのみセット」を注文。
 ドリンク2杯とつまみ(お刺身)のセットだ(写真左)。つまみは大ぶりなカツオアジイカの盛り合わせである。これで1200円は安い。
 次にマグロ赤身、日替り煮付け(カレイ:写真)、ハマグリの酒蒸しを注文。ここで、つまみに合わせて酒を日本酒に切り替えた。マグロは厚切りで、煮付けは良く味がしみている。ハマグリも美味!。最高に日本酒(高清水景虎)とあう。

 更にウナギのメニューが眼に入ってしまった。値段の方に引かれたのかもしれない。1500円だ。安い。二人して注文。国産か中国産かは食べれば直ぐにわかる。国産だ。聞かなかったが、何処かの養殖物だろう。

 程よく呑んで喰って喋って90分。

 河岸を変えて横丁奥の「江戸銀」さんへ。
 熱燗を呑みながら寿司に舌鼓を打つ。最後にもう一度タマゴを食べて締めとした。

 コロナ禍、伊井兄は本日ワクチン接種とのこと。小生は明日だ。二度のワクチン接種後、また呑もうと言うことで散会した。

ちょいのみセット」(ドリンク2杯とつまみ)/日替わり煮付け
 途中から話しに花が咲いて写真撮るのを忘れていた。2枚だけupする。

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七夕に寄せて_古いアルバムに見る星祭りの思い出

神大寺・子供会_七夕祭りの様子(昭和40年前後?)

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 古いアルバムから、また懐かしい写真が出てきた。
 この頃は、まだ町内に子供達がたくさんいた時代だ。
 自分の姿を探したが、どうやらここには写っていないようだ。年代は、恐らく昭和40年前後ではないかと思われる。

 一枚(写真左)は神大子供会による日枝神社(左手奥が参道と鳥居)での七夕の飾り付けの様子である。
 もう一枚(写真右)は横浜市営バス36系統の、当時の「日枝橋バス停付近(今は無いが、当時は小川に石橋が架かっていた)の七夕飾りである。後ろの木造小屋は神大寺の消防小屋であり、左方向へ脇道を入っていくと直ぐ左手に日枝神社鳥居が見える。右手の道路はバス通りで六角橋に続いている。

 今日(R3.7.7.)の神大天気は終日曇り、降水確率40%で天の川は見えそうにないが、元々の七夕は旧暦の7月7日、換算すると8月14日である。七夕は星祭りともいわれ、子供の頃、両親に買ってもらった天体望遠鏡でよく星座を探したりしたものだが、そのようなのある頃がなつかしい。

R3.7.7_七夕飾り(片倉町杉山神社/片倉町駅の片倉町子供会による七夕飾り)

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sanpo-nikki.com


国士舘大学「言道部」で鍛えられた日々_弁論大会・全国遊説・選挙応援 etc.


 中・高・大とかなりの精力をクラブ活動に投入してきた。そこでは、正課では学び得ない多くのものを学んだように思う。

 まず、六中横浜市六角橋中学校)時代。
 入学時、比較的運動量の少ないと思われた卓球部を選んだつもりであったが、完全な思い違いであった。六中は強豪校で多数の入部者をふるい落とすためのトレーニング(しごき?)に耐えて生き残り、3年次には、横浜市大会でダブルス優勝という栄誉を得た。中学3年間は卓球命で、1年365日卓球づけの毎日であった。高校を選択する基準も、学力もさることながら何処高校卓球をやるか、が重要であった。

 結果的に川和高校に進学し卓球部に入った。だが、ステージが変わると、同校には、いわゆる70年安保闘争の余波のようなムードが若干漂っており、進級するにつれて段々と興味活動方向が変わっていくのである。

 「政治」である。
 また、この頃、生徒会にも関心を持ち、生徒会長に立候補したりもした。

 そして、大学は国士舘大学を選択した(経緯は別稿で少しふれた)。政治に関わり、且つ国士舘らしさを求めた結果、選んだクラブは言道部(げんどうぶ)であった。他大では弁論部、雄弁会、ユニークなところでは辞達学会(中大)などと呼ばれているが、国士舘では創立者柴田徳次郎先生の方針により柔道剣道と同じように言葉を探求するクラブということで言道部とされた。当時、国士舘三道と言われ、「文武」のを代表するクラブであった。

言道部時代_親友来丸兄と小生(大講堂)

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 はじめてクラブの門をたたいた日のことを覚えている。言道部の道場である大講堂国士舘発祥の建造物)を訪ねると、部員が演壇に立って、言道綱領第一号(「ヨーロッパに端を発した~」)を練習する光景とその弁論で周囲を圧倒する雰囲気にふれて、「俺もここで自分を磨いてみたい」と心の中で思ったものである。

 当時、言道部は体育会系言道部といわれていた。今日のように、マイクなど無い時代、聴衆のヤジに負けないように、逆にヤジを圧倒する声量を維持するために体練(腹式呼吸)を行いながらの発声練習(言道綱領第二号「我が国士舘大学言道部は~」天の発声法)が日常の練習の中心であった。したがって合宿も文化系のそれでは無く、体練中心の合宿となる(写真)。

言道部合宿/発声練習(羽咋市千里浜,小生2年次)

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 弁論大会における弁論時間は多くの場合10分であり、弁論の内容は主に政治・経済問題が中心である。弁論時間10分というと、話すスピードにもよるが、原稿は大体400字詰め原稿用紙7枚ぐらいになろうか。各自で、演題(テーマ)とそれに沿った原稿を作成し、上級生やOB(小生は、同期の来丸兄と共に伊東泰白先輩という4級上の厳しい先輩の薫陶を受けた!)、監督等の指導を受け原稿を作り込むのである。当然、関連分野の情報収集や勉強は欠かせない。
 また、質疑応答は各大学によって5分であったり10分であったりした。大学の弁論大会は弁舌するだけの一方通行ではなく、辛辣なヤジは飛ぶは、質疑応答で突っ込まれるはで、いい加減な原稿を作成すると壇上で立ち往生させられるのである。小生はそのような光景を何度も見ている。
 小生のデビュー戦早稲田大学で行われた全関東学生雄弁連盟(通称「全関」)主催による新人戦写真)で、当時タブーとされていた演題(「憲法改正へ向けて」)を設定したことから、圧倒的なヤジヤジヤジの洗礼を受けた。まだ若く、議論で負けるなどあってはならないと思っていたので、その後の質疑応答はまさに舌戦であった。
 ただし、この大会を経て、近隣の駒大、農大はじめ、明大、拓大、東大等々、各大学に多くの友人ができた。そして、これ以降、数々の弁論大会に出場することになるのである。
 余談だが、演壇に立つとき、いつも学生服の胸ポケットにペンを刺しているのだが、これは小生にとってお守り(兼武器)である。以来今日まで、ペンは常に小生のお守り代わりであり、お気に入りやいただき物のネームなどが入った記念のペンはいつも身近に置いて大切にしている。

S49_全関東雄弁連盟新人戦(早大,小生2年次)

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S50_近畿大学雄弁大会(小生3年次)

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 一方で本学が主催する大会がある。
 柴田杯争奪全日本学生優勝言道大会写真)だ。言道部最大のイベントで各大学から弁士を招聘し、毎年、盛大に行われていた。当時、各大学において「全日本」を冠した同様の弁論大会が多数開催されており、大学間の横の交流は活発だった。
 因みに、写真の前列左から3人目の弁士が手にしている優勝杯は、当時の各大学における弁論大会中、最大のカップで、誰がこれを手中に収めるかで覇が競われていた。

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 もう一つ、大事な大会を紹介しなければならない。毎年、和歌山県で開催される日本弁論連盟主催による全国大会(和歌山大会)だ。会長は東不二彦先生(当時)。元国士舘高校教諭大西貫也先生(言道部7期生)の親父殿(義父)である。長く柴田杯の審査委員としてもご指導いただいた重鎮であり、言道部は前述の大会に、毎年、部をあげて出場していた。
 再び余談である。
 東先生はいわゆる「神兵隊事件」(S8.7.11発覚_未遂に終わったクーデター計画)に連座された特異な経歴を有しておられるが、本学高等部の卒業生にも同事件に関与された鈴木善一という大先輩がおられる。小生1度だけお目にかかったことがあり、このことはいずれ別稿(国士舘OB列伝)に書きたいと思う。

和歌山大会における東先生/東先生を囲んで(東京駅新幹線ホーム)

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全国大会(和歌山大会)優勝記念(大講堂)

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 弁論大会は、審査員による評価を得て優勝を競うものであるが、更に実践的に、全国遊説し、社会に対して諸問題を提起しその解決を訴えるという活動も行ってきた。

 写真は小生4年次に、北方領土問題対策協会(現在、独立行政法人)の要請を受け、北方領土問題をテーマに、中部地方北陸地方、中国地方を遊説したときのものである。言道部から7名の部員が参加し遊説の主力となった。

北方領土問題を訴える全国遊説キャラバン隊(総理府官邸前:当時)

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 末尾に選挙応援についてふれたい。
 小生大学4年間で、国政から県会、市会まで、およそ10回を超える大小の選挙に関わった。役割はビラ配りもあればウグイス嬢もある。
 差し障りがない範囲で書くが、まず選挙デビューは大学2年次に関わった鎌倉市長選で、円覚寺(北鎌倉)にご縁のある方が候補者であった。この時は言道部OB(というか国士舘)が中心となり、都内大学の学生も多数動員して、数十人の大部隊が編成された。仕事はビラの配布・投函等であり、小生も毎日、ビラを持って鎌倉市内の住宅地をくまなく歩いた。選挙期間中、北鎌倉の宿舎はほぼ合宿状態で、選挙の舞台裏とはこういうものか、という経験をした。

 また、ウグイス嬢(どう見てもウグイスではないが…)も国政で2回、市議選で3~4回ほど経験した。これは見た目と違ってかなりハードな仕事であり、朝8時から夜8時まで宣伝カーに乗り放し、交替するとはいえ終日喋り放し(連呼)である。選挙が終わる頃には弁士全員の声は完全につぶれていた。公選法上、当時の報酬の上限を知らないが(現在は1日、1万5千円以内)、学生からすれば充分すぎる日当をいただいた。金額は書かないことにする。

 数多くの選挙応援に関わり、そこで学んだ最大のものは、政治とは何かもあるが、やはり人間関係の何たるかであった。権謀術数あり、喜怒哀楽あり、敵味方もあり、人間関係の機微にもふれた。学生のうちにこれだけの経験ができたことは、その後の人生においても貴重な財産となった。

 

 以上、言道部における諸活動について書いてきた。「是々非々天下勇」「言行一致」「言道とは人格なり」「言道とは実践なり」「言道極意無言」…。実に多くのことを学んだ充実したクラブ生活であった。

 その後、(国士舘における)時の流れもあり、部員数も減少し、今では柴田杯も開催されていない。寂しい限りである。
 しかし、他大を見ると現在でもクラブの伝統を維持し、人材を輩出し続けている大学もある。早大雄弁会しかり、中大辞達学会しかりである。

 クラブは最初に発心した一人の先駆者からその歴史が始まる。
 「有為の人材を養成する」(学則第1条)とする建学精神が生きている限り、いつか言道部の再建を担ってくれる人材が出てくるかもしれないと密かに期待している。



R3.7.15追記
 平成24年9月24日(土)、国士舘大学世田谷キャンパス大講堂において、国士舘大学言道部創部50周年記念OB・OG会が開催され、懐かしい面々が一堂に会した。冒頭、創立者柴田徳次郎先生、言道部初代師範島津定泰先生はじめ物故者に対し黙祷及び献花が執り行われた。引き続き、言道綱領第1号(来丸秀男)、同第2号(小生)が披露され、最後に言道部部歌国士舘舘歌を斉唱し会を閉じた。

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男厨_ジャーマン・ポテトにチャレンジ!

材料/下準備/オリーブオイル・バター・ニンニクで炒める

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 先日、町会のIさんに野菜をいただいた。前回も書いたが、家庭菜園で収穫されたものだそうでジャガイモ、タマネギ、キュウリ、キャベツだ。感謝。
 手提げ袋にいっぱいもらったので、早速、ジャガイモ、タマネギで具だくさん味噌汁をつくり、キャベツは玉子と和えて炒めた。

 もう一品、何か酒の肴になるような料理を作ってやろうと、ジャーマン・ポテトにチャレンジすることにした。
 材料は、ジャガイモ3個、タマネギ1個、ニンニク2片、角切りベーコン250㌘(写真上・左)。

 レシピは次のとおりだ。
 (料理研究家リュウジのバズレシピ「至高のジャーマンポテト」参照)

 まずは下準備。ジャガイモ3個をタワシで洗い、皮付きのまま半分に切り、更に約1㎝幅にカット。大きめの耐熱皿にまんべんなく並べ、レンジで約3分間チンタマネギ1個を半分に切り、ジャガイモと同じくらいの厚さにカット。ニンニク2片はみじん切り。(写真上・中

 次に、フライパンにオリーブオイル(大さじ1強)をひき、中火で角切りベーコンを炒める。そこにチンしたジャガイモを投入し、焦げ目がつくまで炒める。更にタマネギを投入し炒める。(写真上・右

 味付けは、まずコンソメ顆粒(大さじ1弱)を加える。バター(約15㌘)をフライパンのコーナーで溶かし、そこへニンニクみじん切りを投入。更に全体に少々と黒こしょう適量を加え、まんべんなくかき混ぜてよく炒める。

 器に盛って、パセリのみじん切りをふり完成。

 早速試食。

 ちょっとジャガイモの焼き色が足りないが、味はまあまあだ。

 あわせる酒は、ジャックダニエルオンザロックで。

 オリーブオイルバーボン(厳密にはテネシーウィスキー)に良く合う。

 お酒との合わせ技で「一本」、としておこう。

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R3.6.21追記
 キュウリはスイカ模様に皮をむき、スティックにした。
味噌でボリボリやりながら酒の肴にしている。

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R3.6.26追記

 タマネギは輪切りにして、オリーブオイルとバターで焼き、酒・醤油・砂糖・ニンニクで味付けして、タマネギステーキにした。おつまみ、もう一品完成!

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