隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

町田柿島屋で祝杯!_親子孫三代国士舘!

柿島屋入口のディスプレイ

 去年の暮れの話しだが、行きつけの柿島屋でのことなので一筆書いておこうと思う。

 12月18日(日)、大学同級生の息子(本学政経学部卒)と彼が学生時の担当学生主事の三者で呑む機会を得た。同級生は広島県在住で子息が受験した時、入学が決まり上京した時、多少のサポートをさせてもらった。

 そしてこの度、更にその息子、つまり同級生からすると孫が来年4月、政経学部へ入学することになったのである。三代国士舘である。大いに大学の経営に貢献しているではないか。

 余談だが、はるか昔の小生大学1年次、同級生に広島出身者が沢山(4人ぐらい)いて、この時初めて身近で広島弁を耳にしたのだと思う。当時、世間では菅原文太演ずる「仁義なき戦い」が流行っていて、皆、映画の登場人物と同じような口調だったのを覚えている。特に喧嘩言葉「わりぁ なにしょんな~」。

 実はこの三人で以前も呑んだことがあるのだが、今般も前回と同じ店、町田柿島屋へ繰り出した。


 酒とつまみは以前も紹介したので重複するが、主要なものだけ紹介しておく。
 左から馬刺し(の上)。
 これは絶対に外せない! にんにく醤油で食べる。絶品である。
 次に馬肉鍋。
 酒が進む、いつもは〆に食べる。
 右端は梅割り。
 危険な酒。いつもであれば自制して呑むところである。


 この日、開店時間の12時集合。
 昼飲みで短期決戦のつもりでいたが、話が弾み、いつしか杯を重ねていた。
 梅割りを飲み始めると、まず一杯目、そして二杯目と杯を重ねる都度、必ず勘定していくのだが、五杯ぐらいに差し掛かると何杯呑んだか分からなくなってしまうのである。

 この日は日曜日。
 小生は帰宅後、日曜日の楽しみである「笑点」と「鎌倉殿の13人」(最終回)を見る予定であったが、何とか夕方までに家に帰り着いたようであるものの、翌日、TVを見た記憶が無い。
 しかも体の節々が痛い。右手の平は傷だらけ、受け身の跡か?
 駅のホームから転げ落ちなくて良かったが、よくよく記憶を辿ってみると、転んだり…、人様に言えないほど酩酊していたようだ。よって、ここには書かない。

 子息進学の祝い酒のつもりが度を越してしまったようである。

 翌日LINEで何杯飲んだか確認したところ6杯とのことであった。5杯以上飲んではいけなかったのである。自分の限界を知っておくことは必要だが、いい年こいて何をやっているのだろうと沈思黙考し、深く反省したところである。

 昔から一年に一回大失敗をするのだが、令和5年はその様なことがないように、恐る恐るスタートを切ったところである。

 

 

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謹賀新年!

 明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。

 大晦日、元日と氏神様(神大日枝神社)へ二年参りに行ってきました。
 初詣の様子と奉納獅子舞(神大寺囃子)をご覧ください。


神大寺囃子獅子舞



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年末の雑感2_「リンダ」さんのこと他!

横浜市立六角橋(ろっかくばし)中学校

 12月に入って直ぐに大掃除に着手し、併せて年明け早々にお袋の七回忌を迎えることもあり、三回忌に整理できなかったお袋専用の収納庫の整理(第2次)をしていたところ、小生と弟が横浜市六角橋中学校(通称「六中」)に在学していた頃の「六中時報」(生徒会新聞)及び「PTA六中」(PTA広報紙)なる印刷物が奥の方から出てきた。一緒に出てきたノート類の書き付け等を見ていると、この頃のお袋はPTAの役員として広報関係の仕事に関わっていたようである。

 印刷物は、昭和42(1967)年から同47(1972)年までのタブロイド判の新聞13部で、全てセピア色に色褪せており歳月を感じさせるものがある。

 手を止めて紙面を眺めていると、懐かしさからついつい引き込まれてしまう。
 今まで投稿したブログの中で、自身の出身中学のことについてはあまり触れてこなかったと思うので、紙面から思い出される二つのことを取り上げてみたい。

 まず一つ。
 昭和45年3月8日発行の「PTA六中」の紙面、「先生方の横顔」に掲載されている「大貫先生」から思い出されることについて触れてみる。

 同先生は小生が中学校1年次の英語の先生であるが、小生が英語が好きになった切っ掛けともなった先生である。その大貫先生が授業中に余談として話してくれた今でも忘れられない話がある。それは、小生等の入学と入れ替わりで六中を卒業された「山本あつ子」さんのことであり、誰あろう、後の歌手・タレント「山本リンダ」さんなのである。

 大貫先生はやはり英語の授業でリンダさんを担当されたのだそうだ。
 中学当時、既にファッションモデルであり(家計を支えていたそうだ)、中学を卒業すると「こまっちゃうナ」で歌手デビュー。スタイルが良く歌が好きで、いつも颯爽と歩いているような子だった!、という風なことを話されていた記憶がある。

 そのリンダさんの実家が我が町内会(神大寺北町自治会)の区域内にある。小生の家から10分圏内で、中学の先輩であり、町内で最も有名な芸能人なのである。

 もう一つ。
 昭和46年3月1日発行の「PTA六中」の紙面に掲載されている「クラブだより」についてである。その中の卓球部顧問、宮崎先生の記事に「昨年、男子ダブルスで市大会優勝~」とクラブの実績が記されているのだが、何を隠そうこのダブルス優勝者は、相方のS君と小生なのだ。

 小さな記事だが、収納庫に眠っていたセピア色の新聞紙面に、かつて卓球に熱中した中学時代の大会結果がわずかに記録されている箇所を見つけ、その様な時代もあったのだと、しみじみと感慨に浸る自分がいるのである。

 他愛もないことを書いた。

 年末までに片付けなければならないことがまだ沢山ある。

 もう少し作業に集中することにしよう。

 

 

年末の雑感_ライフワークと自治会活動について!

神大寺北町(かんだいじきたちょう)会館

 前回の投稿から大分時間が空いた。

 小生、ライフワーク自治町内会活動ぐらいしか予定のない前期高齢者であるが、師走はそれなりにスケジュールが埋まっていて慌ただしさを感じていた。

 特に後者については、生まれ育った地元なので、誘いを受けた時、前者に支障の無い範囲で関わろうと思っていたが、中々奥が深いというか、ネガティブな言い方をすると「」のような世界である。

 当初、大ざっぱに、ライフワーク8割、町内会2割ぐらいのバランスを考えていたが、前者の時間が、大分、後者に侵食されてきた。

 ライフワークは政治から、開拓しつつある趣味の世界まで多岐にわたるが、ブログ(本来の意味とは違うようだが「記録」のつもり)もその内の一つである。できるだけ定期的に書きたいと思っていたが、12月に入ってからは、町内会の、特にホームページに関わる仕事(時間)が増大し、今年もあと十日を残すばかりなのだが、漸く二稿目を書いているところである。

 今まで何回か、我が町内会のホームページを紹介してきたが、三週間ほど前の12月2日、本会が、ホームページを活用した広報活動に取り組んでいるということで、神奈川区役所区政推進課から取材の打診があり、これに対応した。

 区役所の職員とは少しイメージの違ったキャリアウーマンのような女性二人がわが町にお越しになり、会長以下、デジタル広報部の4名(部員は総勢6名)で取材を受けたのだが、来年2月の「広報よこはま」に掲載されるとのこと。楽しみにしている。

 以下に、再度、本会ホームページのURLを掲載し本稿を閉じることとする。
 デジタル広報部の力作をご覧いただきたい。


神大寺北町自治会ホームページ
kandaiji-kitachou.jimdofree.com


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1枚の写真に国士舘大学国防部の歴史を見る!

 元学長三浦信行先生(前列左から2人目、言道部)を囲む面々は、国士舘大学国防部OB会の諸氏である。
 平成27(2015)年4月25日、世田谷校舎10号館前で撮影されたものである。

 当該写真が、林田先輩に関する投稿(リンク参照)に書いた、OB諸氏の了解を得られていないので公開できずにいた写真なのだが、今年の楓門祭で出会った同部OB(後輩)に感触を確認したところ、「問題ありません」との言を得たので、ここに掲載させていただくことにした。

 最前列は国防部の草創期を担った諸先輩方であり、2列目には小生の同級生K君とH君の両名も収まっている。皇宮警察、警視庁、千葉県警等、警察関係者が多いのもやはり本学ならではのことかもしれない。

 本来ならば、この最前列には田中崇志先輩(故人: リンク参照)も居られて、おそらくは同OB会の中心となり、その個性と類い希なリーダーシップで社会にも母校後進にも大きな影響を与えたであろうと、つい想像してしまうが詮無きことではある…。

 ここでは、ひとつの記録としてこの写真を掲載しておくこととする。


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男厨_ぬめりを残して里芋の「煮っ転がし」を作る!

 久しぶりの料理の投稿である。
 町内会のIさんから家庭菜園で収穫された里芋(とブロッコリー)をいただいた。Iさんは小生が料理をすることを知っているので、時たま、おすそ分けにあずかる。
 ありがたいことである。

 里芋というとすぐに「煮っ転がし」が思いつく。
 やはり、お袋の味だからか…。

 一般的に調理方法は大きく7つに分類(焼く、茹でる、炒める…)される。大方の方がそうだと思うが?、小生の場合も里芋料理のイメージは「煮る」である。
 では、早速作ってみよう。

 まず、タワシで水洗いし、きれいに泥を落とす。
 よく水気を切って、里芋の形に添って頭とお尻を落とし、薄く皮をむく。包丁を使ったが、ピーラーを使うと時短になる。

 里芋の大きさがまちまちなので大きいものは二等分、三等分して大きさを揃える。そうすると、後で落としぶたをしたとき、煮汁がいい具合に対流する。

 計量はかりで里芋の重さを量ると約900グラム。
 これに対応して調味料は、
  だし汁 約 450グラム(ヒタヒタになるぐらい)
  砂糖  約 大さじ2
  醤油  約 大さじ3
  みりん 約 大さじ2
  酒   約 大さじ2

 調味料を全て鍋に入れかき混ぜる。
 以前、里芋を下ゆでして調理したことがあるが今回は何もせず、そのまま鍋に投入し中火にかける。

 煮汁が湧いてきたら落としぶたをして約10分間、弱火で煮る。10分経過したら、落としぶたを外し、火加減を少し強くして更に10分~15分と煮詰めていく。

 煮汁の煮詰めぐあいが里芋の味の濃さに繋がってくるので、自分の好みの味になるように加減する。小生の場合、煮汁が鍋底一面に残るぐらいに煮詰めて、完成。

 大地の恵みに感謝して「いただきます」。
 旨い。
 我ながらいい味に仕上がっているようだ。

 

 

 

EOSの日_地元再発見! 神大寺囃子を見てきた!


 神大寺囃子
 「かんだいじばやし」と読む。

 小生、神大寺生まれ神大寺育ちであるが、実はこの歳になるまで「神大寺囃子」なるものを見たことがなかった(一時期、廃れていたらしい)。先日、地元、神大寺地区の中丸小学校で開催された地域交流祭(R4.11.5)に、「神大寺囃子連合会」の出演があることを地域のホームページで知った。そこで、小生が関わっている神大寺北町自治会(町内会)のホームページ(リンク参照)に掲載するため、取材に出かけてみることにしたのである。

 お囃子(はやし)というと神社の祭礼でよく耳にする鉦(かね)、太鼓、笛などによる、いわゆる鳴り物程度の知識しかなかったが、神大寺囃子は楽器による演奏のみならず、獅子が舞い(獅子舞)、獅子を背負い面に付け替えて広範囲に踊るなどの動きを伴った、何というか、民俗芸能のようなものであることを知った。

 我が神大寺にこのような伝統芸能があったとは…。
 地元っ子としては新鮮な驚きと、その名前の由来が戦国期に溯ると伝わる神大寺の奥深さをあらためて知ったのである。

 さて、EOSの出番である。
 以下に神大寺の伝統芸能をご覧いただこう。


お囃子


獅子舞&面による踊り

 

 

 

神大寺北町自治会ホームページ
 コンテンツが段々と充実してきた。我が町内会のホームページをご覧ください。
kandaiji-kitachou.jimdofree.com