隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

「年頭に思うこと」に少し補足!


 手元に昭和48年度の国士舘大学法学部便覧がある。小生の入学時に配付されたものだ。

 先日投稿した「年頭に思うこと」(令和6年1月2日)の中で、大学1・2年次に履修した「日本史」のことについて触れた。小生の記憶を確かめるために本棚の片隅に眠っていた古い便覧を引っ張り出したのだが、やはり、記憶どおり日本史は必修科目だった。

 ただし、注意書きの欄に「日本史は学内必修とする」とある。学内必修!? 今から考えるとちょっと意味不明だが、この科目は履修しなさい、という推奨科目だったように記憶している。

 その理由は、一般教養科目として配当されていた片山巍先生の「日本史」が、いわゆる戦後教育の主流となってきた日本史ではなく、先生のご専門でもある水戸学、すなわち明治維新の思想的原動力ともなった尊皇思想を基調とする科目で、日本の歴史・伝統・文化を学ぶとする国士舘の教育に整合したことによるものと思う(個人の見解)。つまり我々の世代は、正課(一般教養)の中で「建学精神」を学んできたのである。

 もう一科目、「倫理学」という科目を履修した。
 これも必修だったかな?と思って便覧を確認したがそうではなかった。ただ、小生の記憶では、人文科学系科目の履修要件(3科目)として「日本史」と「倫理学」は推奨科目ではなかったか、という記憶がある。

 倫理学の講師は渡辺寿伝治(わたなべすてはる)先生。テキストは和辻哲郎『人間の学としての倫理学』岩波全書であった。

 当時、倫理学であるとか哲学などという分野は小生にとってほとんど未知の世界であり、この年になってなお、その世界をのぞいたとも言えないレベルであるが、渡辺寿伝治先生の熱を帯びた講義(エビソードを一つ。答案は一言〔ひとこと〕で解答できれば理想である、という趣旨のことを言われていた。的を射ていれば100点、間違っていれば0点!)と和辻哲郎が日本的な思想(和)と西洋哲学(洋)の融合を目指したという一点から、和辻哲郎全集全20巻(写真)を買い込んでその学問・思想に触れてみようと試みた。全く物になっていないが、「風土」(ふうど)や「古寺巡礼」(こじじゅんれい)などを興味深く読んだ。

 さて、ここ(補足)で何を言わんとしたか。
 先に書いたが、「建学精神」のことである。

 何処の私学も建学精神を有しているが、それをどの様に今日的に教授するか。渡辺寿伝治先生に倣って一言で結論を言えば、先にも書いたが「正課として教授すべし!」となる。

 母校では、国士舘史資料室において校史の編纂研究が盛んに行われているようだ。良い意味でも悪い意味でも我が校のライバルであった拓大の友人が自慢げに言っていたことを思い出す。我が拓大は、校友(OB・OG)が近代史において何を為したかを授業(正課)の中で教えていると。そう、校史教育だ。

 一言も反論できない。
 否、正解である。
 願わくば、我が母校にもそれを期待したい。


我が蔵書 和辻哲郎全集