隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

昨年の今日(R2/10.17)_新宿にて担当学生達(法22期生)と酒を酌み交わして!

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 コロナ禍の、昨年の今日(令和2年10月17日)のことである。
 かつて担当した学生達と卒業後もたまに宴席を囲んでいるのだが、昨年の会は、出席して始めて小生の退職を祝う会写真上・下)であることを知り、大変感激に浸った一夜であった。人生における大切な思い出としてブログに残しておこうと思う。

 小生、国士舘大学を卒業後、専任職員として母校に奉職、学生部勤務(S52/4.1~S60/3.31)を経て、法学部事務室に異動し、「学生主事」として長く学生を担当した。

 同職は、昭和48年から始まった学園改革(いわゆる「近代化委員会」)により、呼称が「学生監」から変更されたものであるが、その所掌するところは、基本的に学生監の時代と大きく変わらず、学生生活全般に関わるいわゆる厚生補導(学生の人間形成を図るために行われる正課外の諸活動における様々な指導・援助等)を担当する、とされていた。

 具体的な業務内容としては、①履修指導、②出席管理、③試験管理、④成績管理、⑤ガイダンス実施等々であるが、初期の頃は、まだ学生主事が履修指導をし、授業の開始前に出席カードを集め、試験の監督をし、成績はゴム印で原簿に記録するというアナログの時代であった。
 また、極々まれに、学生が引き起こす様々な事故・事件処理から、時には学生のコンパお付き合いをすることもあり、学生にとって最も身近な存在ではなかったかと思う。

 記録と記憶をさかのぼって、小生が担当した学生達の入学期・学年を、以下備忘録的に整理してみる。

(1)昭和58年度入学生(法学部18期生) 3・4年次担当(昭和60・61年度)
(2)昭和62年度入学生(法学部22期生) 1・2・3・4年次担当(昭和62~平成2年度)
(3)平成元年度入学生(法学部24期生) 3・4年次担当(平成3・4年度)
(4)平成  5年度入学生(法学部28期生) 2年次担当(平成6年度)
(5)平成  7年度入学生(法学部30期生) 1・2年次担当(平成7・8年度)
(6)平成  9年度入学生(法学部32期生) 1・3・4年次担当(平成9・11・12年度)

 

 ところで、学生主事の業務については前述したが、学生を担当するにあたり、まず覚えなければならない大事なことがある。そう、学生氏名である。
 これは何処何処に規定されているというものではないし、マニュアル化されたものでもない。本学における伝統的学生指導要諦で、学生主事は何時も学生名簿に目を通し、学生がカウンター(学部窓口)に来たときなど、名前で呼びかけるということは誰もが実践していることであった。

 担当する学生数は各年度で異なるが、法学部の場合、平均して約200名前後(年度によって最大で400名ほど)であったろうか。現役時は、人数に関わらずほぼ全学生の氏名を記憶していたものである。

 さて、写真(下)の説明であるが、今回の会合の構成員は法学部22期生30年前卒業生)の有志である。小生が1年次から4年次まで通して担当した学生(卒業生)達であった。むろん彼らの名前を忘れたことはない。

 面々を見ると国士舘の卒業生ということで、ご多分に洩れず警察官もいるし消防官もいる。また、課長もいれば社長もいる。皆、家庭では父親になり、社会では立派に活躍している。
 実に頼もしい限りであり、学生主事冥利に尽きるというものである。

KICHIRI新宿店にて(R2/10.17)

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