隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

林田先輩の著書(自分史)に見る国士舘大学国防部の淵源について

 先日、福岡県在住の林田俊一先輩より、ご著書(「感動感謝 ~我以外皆我師~」)をご恵贈いただいた。
 林田先輩は、国士舘大学法学部の4期先輩であり、小生が入学した昭和48年の3月に入れ替わりで卒業された。その後、本学経済学研究科(修士)及び亜細亜大学経営学研究科(修士)を修了され、税理士資格を取得、現在はご出身の福岡県飯塚市において「アストル税理士法人」他を手広く経営されている。

 以前、国士舘OB列伝(リンク参照)で触れた田中崇先輩と同級で、クラブも同じ国防部である。因みに奥様は本学短大OG、小生の1期先輩である。

 これから書こうとすることは、小生及び周辺の一部国士舘関係者には関心があっても、大多数の方にとってはどうでも良い話しであり、そのことをまずお断りしておく。

 ご恵贈いただいたご著書はいわゆる自分史であり、読み進めていくと昭和44年「1年の思い出」の項に、学生時代のクラブに関する記述がある。

 少し長くなるが以下に引用させていただく。

 

 「法学部1~2年は鶴川校舎、望岳寮に入寮、クラブは日本伝拳法部に入部。」

   略

 「ある時、昇級試験があり、実技は日頃の練習でパスをしていたが、学科試験も併せて実施された。事前に教育勅語と申し渡されていたので、自ら勉強していた。実際試験となると2~30人の中で、全部漢字とひらがなを間違わずに書いていたのは、1年生で私だけということが解り皆びっくり、実技もそこそこ強かったので、1年のうちから私がキャプテン候補といわれるようになって大変困った。」

 「私にとってはこれよりも、法学部の仲間と2年生になったら『国防研究部』を創ろう(下線: 筆者挿入)と話し合っていたので大変惜しい気持ちがしたが、いずれ退部しようと密かに行動していた。」

 「退部する部員の傾向を見ていると、退部する人はクラブへの参加が段々疎かになっていくのであった。そこで私は反対の行動をしようとした。真面目にクラブに出て行き、ある時一番影響力のある将来の委員長候補者、3年生佐藤先輩に『父の仕事の事でアルバイトをしなければならなくなった』と伝え、退部の申し入れをした。佐藤先輩はいたく同情されて、自らの責任で退部を承認しようと言ってくれた。」

 続いて昭和45年(2年生)の項に、

 「日本伝拳法道部を辞め国防研究部入部(同上)。」と記されている。

 更に館長訓話(柴田徳次郎舘長)、吉田松陰先生等に関する記述が続くがこれは割愛させていただく。

 林田先輩が、日本伝拳法道部に入部されていたことは著書で初めて知った。また、「~法学部の仲間と2年生になったら国防研究部を創ろうと話し合っていた~」のくだりも初めて聞いた話しであるが、「法学部の仲間」とは恐らく田中崇先輩のことであろう。

 「国防部」は早大が草分けかと思われるが、昭和40年代の世相(いわゆる70年安保闘争)を反映して関東、関西の主要大学において保守系の学生達を糾合して林立した。国士舘大学においても同じ時代の情勢を背景に創部されたものと思う。その淵源に関わる記事を林田先輩の著書に発見したことは、一時期、一世を風靡した国士舘大学国防部のルーツを探り当てたような気がしたのである。

 小生の国士舘大学入学時の記憶だが、当時、同クラブは大学行事として実施されていた記念式典(4/29天皇誕生日、2/3建国記念日)において国旗の掲揚を担当していた。式典は中高生を含む全学生がグラウンド(現中高グラウンド)に集合し、教育の一環として実施されていた。式典冒頭の国歌斉唱時、グラウンドの正面に道路を挟んで建つ5号館(当時体育校舎と呼ばれていた)の屋上に、制服制帽の国防部部員が横隊に等間隔で整列し、国旗に正対し挙手の敬礼を行うのである。グラウンドの列の中でそれを見ていた小生等は、単純に、格好いいなぁ!とあこがれの目で見ていたことを思い出す。

 林田先輩のご著書を読みながらそのようなことを懐かしく思い出した。

 今日、国防部はその後の世の流れの中で部員数の減少等により自然に消滅(解散)したが、卒業生は定期的に集まっておられるようである。最近では平成27年4月25日にOB会15名が世田谷校舎を訪問された際、小生が10号館前で記念写真の撮影をさせていただいた。写真の中央には小生のクラブの先輩になる三浦信行先生(元学長、言道部二期)がおさまっておられた。当該写真をここに掲載したいところだが、諸先輩方の了解を得ていないので見合わせることにする。

 クラブというものは俄に勃興し、また諸事情により解散に至ることもあるが、そこに集い何らかの目的を持って青春を過ごした者にとっては自己を育んでくれた古巣のようなものであり、懐かしい思い出が詰まっているはずである。であるからOB達は旧交を温めるために年を幾つ重ねても集まり続けるのである。

 寂しい話しであるが、時代の要請で国防部というクラブが誕生し、そしてやはり時代の流れとともに消えていった歴史を記録しておくこととする。


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