隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

EOSの日_逗子から名越切通・まんだら堂回廊を経て鎌倉へ!


 戸塚の仮住まい生活が始まったのが2月下旬。
 自宅のリフォーム工事も順調に進捗している。

 先週までには、二棟の屋根瓦も全て下ろされ、ガルバリウム鋼板へと改修され、既に外装、内装の工事に入っている。あと2ヶ月ほどの辛抱である。

 これまでの間、戸塚を拠点に周辺地域を散策し、たまに足を延ばして、JR戸塚駅または大船駅に至る片道1時間強の長距離コースも開拓してきた。

 更に、鎌倉まで遠征して歴史散歩を楽しんでいるが、つい先日はEOSを携えて鎌倉七口の一つ、名越切通(なごえきりどおし)を歩いてきた。名越切通は、鎌倉と三浦半島とを結ぶ中世期(以降)における要路の一つで、「やぐら」(中世の横穴式墳墓)や火葬跡など葬送に関する遺構も多く分布しており、中世都市周縁の歴史的景観を残している。

 今般の目的は、名越の第2切通から少し登ったところに位置し、春秋の限定された期間と曜日にだけ公開される「まんだら堂やぐら群」を訪ねることにあった。往時の雰囲気を残す古道の周縁に、まるでタイムスリップしたような異空間の雰囲気を醸し出す「やぐら群」。中世の景観をご覧いただきたいと思う。

JR逗子駅
 鎌倉を歩く場合、いつもであればJR北鎌倉駅または鎌倉駅が起点となるが、今回は一つ先の逗子駅まで足を延ばした。逗子といえば、小さい頃、海水浴はいつも逗子海岸だったが、ちょっと懐かしさを感じながら駅舎を見上げた。

名越第1切通方面を示す標識
 名越切通への入り口は五箇所あるが、今回は逗子側から最短で「まんだら堂やぐら群」へ至る道を選んだ。逗子駅から京急バスの「亀が岡団地北」停留所で降り、住宅街を抜け山に入ると、直ぐに標識が見えた。ありがたいことに簡易トイレも設置されていた。

名越切通
 名越切通の途上には大小3箇所の狭い掘り割りがある。写真の1枚目と2枚は第1切通、3枚目は第2切通である。「まんだら堂やぐら群」で説明してくれたスタッフの方に伺った話しでは、最近の逗子市の発掘調査によると、この路面の下に複数の道路面が重なって発見されたそうだ。切通の道筋や構造も時代とともに移り変わってきたようである。

「まんだら堂やぐら群」を示す標識

まんだら堂やぐら群
 「やぐら」とは、鎌倉から室町時代に鎌倉やその周辺の崖地に造られた横穴式の墳墓または供養の場である。鎌倉期の墓は今日の墓の概念とは異なるようで、実際に被葬者が納骨されている場合と五輪塔が置かれ供養の場として築かれた場合があるようだ。やはり、まんだら堂のスタッフの方によると、寿福寺裏の北条政子の墓にもお骨が眠っているかどうかは疑わしい、というような話しをされていた。小生もそう思っている。

鎌倉側大町口下の路線は横須賀線
 まんだら堂やぐら群から第3切通を抜け、急峻な崖を転びそうになりながら下りてきた。眼下に横須賀線が通り、手前は逗子側、線路の先は鎌倉方面である。さて、そろそろ「鎌倉ビール」が目の前にちらついてきたところだ。

 

 

inkyoclub.hatenablog.com