隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

R5詠進歌_今年は比較的順調な進捗で清書完了!



 令和5歌会始のお題は「」(とも)である。

 和歌の修辞法(表現技法)には色々あるようだが、小生の場合、ほとんど素人のようなもので、文法を理解して作歌しているというレベルではない。

 ただ、歌を作る手順については、一応、自分なりの工夫がある。

 まずはマクロから入りミクロに至る。

 つまり、大きく構えて構想を練ることから始めるのだが、これは何方でもそうだろうとは思う。

 具体的な手順としては、お題から何が思い起こされるかをじっくりと考え、或いは、時に直感的な閃きも大切にして、脳裏に浮かんで来るフレーズ(句)を書き出してみて、取り敢えずに並べてみるのである。

 小生の場合であるが、それをしばらくの間、放置しておいて(温めておいて)、1週間とか十日とか、かなり長い時間をかけて推敲する。日常生活を送りながらも頭の片隅で考え続け、ふと思いついたことや閃きがあると修正していくのである。

 シンプルに言えば、単に時間をかけて考え続けるということなのだが、立案し、推敲し、師匠の添削を受け更に推敲し、完成に至るという流れに、程良い時間をかけるのだ。

 今年は二首を詠んだが、いずれもこのブログに書いた二人の同級生のことを題材にした歌である。一首は、高校の同級生の活躍をネット上に発見したときの驚きと懐かしさ、もう一首は、今なお政治第一線でバリバリ働いている大学の同級生の頼もしさである。

 宮内庁から指定された詠進要領により、以前に発表されていないことが要件であるので此処に公にすることはできないが、いずれ差し支えない時期が来たらブログにでも掲載しようと思う。

 さて、清書である。
 清書は墨書と決まっている。

 「書は人なり」というが、その人の書いたはその人の性格を表していると言われる。昨今、筆を執ることなどは詠進歌清書とお寺にお布施を届けるときの表書きぐらいしかないが、いつも丁寧自分らしい字を書くことに留意している。
 自分らしいなどと抽象的な表現を使ったが、うまく説明はできないが、この年になると自分らしい字というものがおぼろげにわかってくるのだ。

 をすり、半紙に向かいを入れる。

 上手く書けなくとも途中で止めないで、最後まで書くべき事項を全て書き完結させる。いつもこれを三回ほど繰り返す。半紙三枚の清書が出来上がるわけだが、その中から提出用の一枚を選び出す。

 以上の手順を経て、今年は順調に清書まで漕ぎ着けることができた。

 神棚と仏壇に報告し作業を終えた。

 

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