本日(R3/10.27)、来丸秀男君(10.21逝去)の葬儀に参列させていただいた。
故人は家族葬を希望されていたそうで、当初はその予定であったようだが、コロナ禍、お見舞いもなく一人で闘病生活を送った故人が最後ぐらい寂しい思いをしないように、親しい方々に見送っていただこうというご家族のご配慮があったようだ。
小生にも、来丸の病状を心配し連絡を取り合っていた同期生他がたくさんいたのだが、皆を代表してお焼香をさせていただいた。
国士舘大学法学部、言道部の同期であり、ライバルでもあり、また望岳寮においては同じ釜の飯を食ったまさに同期の桜であり、そして日常においてはかけがえのない友であった。そのように形容できる者はそうそういない無二の親友であった。
その漢(おとこ)が逝った。
死は常に悲しく、勝手に人から生を奪う理不尽なものであるが、小生はその悲しみをここに書き連ねようとするものではない。
濃厚な大学4年間、そして職場は、彼は第一東京弁護士会事務局、小生は国士舘大学職員と別々の人生を歩んだがほぼ半世紀の付き合いである。大学4年間は常に一緒にいた。彼が結婚した経緯も詳しく知っている。結婚式の司会もした。職場で昇進しトップに昇り詰めた過程も知っている。その彼が忽然とこの世からいなくなってしまったのである。
永遠の問いであるのかもしれないが「人は死ぬとどこへ行くのか」という子供じみたことをずっと考えてきた。我が菩提寺である浄土宗の教えなどにもあらためてふれてみたりもした。省みても宗教観の浅い自分などにわかろうはずもないが、そのことを考え続けてきて、漠然とではあるが自分なりに辿り着いた境地がある。
死は此岸(この世)と彼岸(あの世)を分けるものであり、今まで彼岸は遠い手の届かないところであると思っていたが、特に両親を見送って、実はその世界は我等生者の意識の中に常に存在しているのではないか、と思うようになってきた。
一般論として、「亡くなった方は、人の心に生きている」というようなことがよく言わるが、おのれ自身の思考の中で、そのことを突き詰めて考えてきた結果、同様の結論に辿り着いたのではないかと考えている。
来丸は我等の身近なところにいる。
そして我等をいつも見守ってくれている。
更に言えば、いつの日か我等もそこへ行くことになるのである。
しばらくの別れである。
この世で一緒に酒を酌み交わせないのは寂しいが、いずれは再び皆で集うことになるだろう。
それまで、先に逝った者達と彼岸で待っていてくれと、手を合わせてしっかりと来丸に伝え、「さよなら」を告げた。
▼S48.7_「日学同」肉体強化合宿(神津島)にて(前列右端来丸大兄,後列右端小生)
▼S49.9_国士舘大学「望嶽寮」屋上にて
▼S51?_大講堂にて
▼S52.3_言道部追い出しコンパにて
▼望嶽寮同期末永(阿部)清己大兄結婚式(宮城県)にて
▼言道部創部50周年記念OB・OG会で言道綱領第1号を披露する来丸大兄
▼追記
葬儀当日、来丸大兄の国士舘高校時代の担任であった大西貫也先生より、「来丸秀男大人の御霊に捧げる歌」をいただいた。先生のご了解を得て次に掲載させていただく。
・ 君逝くと知らせ聞かば愕然と声もそぞろに悲しみ溢れ
・ 近きにも電話の声に「頑張れ」といよ励ますも永遠の別れに
・ 哀しきぞ君が声を今一度聞きたしと思う夕べかな
・ しみじみと君が足跡振り返れば心楽しむ夢の如くに
・ 遠き日に君と行きにし大会は賞を受けたり幾たびありしか
・ 東京私学大会に優勝す君は輝けりあの笑顔は
・ 実直に勤めあげし局長は法の砦の弁護士会ぞ
・ 幾度も艱難を越え世を支ふ君が真心我が誇りなり
・ 来し道の盛んなりしか国士魂見識・気魄の雄々しき姿
・ おだやかな笑顔のままに旅立ちぬ君よ我らを守り給えよ