7月16日(火)、高校野球神奈川大会4回戦。
サーティーフォー保土ケ谷球場。
あいにくの雨。
行くか!どうするか?
迷いながらテレビ観戦(tvk)を続けていたが、なんと、雨天で中断しそのまま継続試合となってしまった。
継続試合?
初めて聞く用語だが、後日、中断した次の回から試合が再開されるのだそうだ。
そして翌17日、同球場で6回表から試合が再開されたが、母校は健闘むなしく4対1で敗れ、川和健児の夏の甲子園は終わったのである。
思い出話を一つ書いてみる。
小生、スポーツは全般的にやることも観ることも好きだが、特に高校野球の応援風景を見ていると川和高校へ入学したばかりの1年生の頃のことを思い出す。
小生の入学は昭和45年(三島事件の年)。
3年間を通じて、学力重視だが比較的自由な校風の中で思いっ切り青春を謳歌した高校生活が彷彿とよみがえってくるが、自由な中にも一筋、伝統的な校風が継承されていた。
1年入学直後の事である。
たしか、1日の授業が終了し、ホームルームの時間であったか。生徒会の一部局である応援委員会(≒応援団)の指導の下、数日間にわたり歌唱指導が行われるのだ。
上級生が、まるでノッコンで(乗り込んで)来るかのように突然教室に入ってきて、校歌、応援歌の歌唱指導をビシ!ビシ!とやるのである。これが、1年生(16歳)からすると味わったことの無い緊張感であり、強烈な印象を刻み込まれるのである。
良い意味でも悪い意味でも(小生は肯定派であるが!)、このような洗礼(通過儀礼)を受けて我らは川和高校生として成長していったのだと思う。
そのお陰なのであろう、(所々忘れているが)今でも校歌、応援歌を歌えるし、球場における現役の応援活動をみて共感することも出来る。
あの伝統行事はどうなっただろうか。
50年以上昔の行事が今も続いているとは思わないが、おそらく形を変えて今日的な方法で校歌や応援歌は歌い継がれているのであろう。
久しぶりに母校の雄姿を見て躍動する現役の彼ら彼女らを頼もしく思い、一OBとして大いなるエールを送りたいと思った次第である。