▼柿島屋入口のディスプレイ
去年の暮れの話しだが、行きつけの柿島屋でのことなので一筆書いておこうと思う。
12月18日(日)、大学同級生の息子(本学政経学部卒)と彼が学生時の担当学生主事の三者で呑む機会を得た。同級生は広島県在住で子息が受験した時、入学が決まり上京した時、多少のサポートをさせてもらった。
そしてこの度、更にその息子、つまり同級生からすると孫が来年4月、政経学部へ入学することになったのである。親・子・孫の三代国士舘である。大いに大学の経営に貢献しているではないか。
余談だが、はるか昔の小生大学1年次、同級生に広島出身者が沢山(4人ぐらい)いて、この時初めて身近で広島弁を耳にしたのだと思う。当時、世間では菅原文太演ずる「仁義なき戦い」が流行っていて、皆、映画の登場人物と同じような口調だったのを覚えている。特に喧嘩言葉「わりぁ なにしょんな~」。
実はこの三人で以前も呑んだことがあるのだが、今般も前回と同じ店、町田柿島屋へ繰り出した。
酒とつまみは以前も紹介したので重複するが、主要なものだけ紹介しておく。
左から馬刺し(の上)。
これは絶対に外せない! にんにく醤油で食べる。絶品である。
次に馬肉鍋。
酒が進む、いつもは〆に食べる。
右端は梅割り。
危険な酒。いつもであれば自制して呑むところである。
この日、開店時間の12時集合。
昼飲みで短期決戦のつもりでいたが、話が弾み、いつしか杯を重ねていた。
梅割りを飲み始めると、まず一杯目、そして二杯目と杯を重ねる都度、必ず勘定していくのだが、五杯ぐらいに差し掛かると何杯呑んだか分からなくなってしまうのである。
この日は日曜日。
小生は帰宅後、日曜日の楽しみである「笑点」と「鎌倉殿の13人」(最終回)を見る予定であったが、何とか夕方までに家に帰り着いたようであるものの、翌日、TVを見た記憶が無い。
しかも体の節々が痛い。右手の平は傷だらけ、受け身の跡か?
駅のホームから転げ落ちなくて良かったが、よくよく記憶を辿ってみると、転んだり…、人様に言えないほど酩酊していたようだ。よって、ここには書かない。
子息進学の祝い酒のつもりが度を越してしまったようである。
翌日LINEで何杯飲んだか確認したところ6杯とのことであった。5杯以上飲んではいけなかったのである。自分の限界を知っておくことは必要だが、いい年こいて何をやっているのだろうと沈思黙考し、深く反省したところである。
昔から一年に一回大失敗をするのだが、令和5年はその様なことがないように、恐る恐るスタートを切ったところである。