もう一県、宮崎県にも行ったことがなかったが、何年か前、グループで大学の先輩を訪ね、ようやく当地を踏んだ。(余談だが、鬼の洗濯板で有名な青島神社に参拝し、夜間、漁船の船縁で飛んでくる飛び魚を網ですくったりしたことが思い出される。そうそう、理事長と同級生の体育学部一期生のサッカー部の先輩〔お名前を失念してしまった〕にもご自宅を訪ねお目にかかった)
あとは沖縄県のみ。
沖縄の上空を飛んで、フィリピンに慰霊の旅に訪れたこともあるし、台湾にも、中国海南島にも公私の用件で訪問したが、行きたいと思っている沖縄の地を未だ踏めずにいることは大変心残りである。
沖縄には国士舘大学卒業後ずっと年賀状の遣り取りをしている「K」と言う同級生がいる。
初めて出会ったのは大学1年生の時だから昭和48年。
当時、彼は「国防部」(当時の時代背景の中で各大学に存在し、異彩を放っていた。早大国防部は三島事件の森田必勝氏で有名)に所属していて、沖縄独特の精悍な顔つきの、中々気骨のある「男」で、また国士舘には珍しい理論派で小生とは気心があった。
昭和48年は沖縄が祖国に復帰した翌年であるが、彼とはよく政治向きの話しをした記憶がある。その中で復帰前の米国統治下の沖縄は車両が右側通行であったとか、本土に来るときはパスポートが必要であった等々の話しを聞いて、外国に「占領」されることの何たるかを実感したことがあった。
「沖縄復帰50年!」
本日の新聞紙面にいろいろと思うところがある。
今日、ロシアによるウクライナ侵略やロシア政治家による「(専門家によれば)ロシアは北海道にすべての権利を有している」などという驚きの発言を耳にする情勢の中で、50年前に米国統治下の沖縄が平和裏に祖国へ復帰したことの意義深さを改めて痛感している。
そして出来るだけ早期に沖縄を訪ねたい!という気持ちが強く湧いてくるのである。
▼ひめゆりの塔(Free写真素材使用)