隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

酒と肴_横浜「キリンシティ」で一献!

キリンシティ」横浜モアーズ店
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 久しぶりに元同僚の伊井兄(空手道部OB)からLINEがあり、日曜日(2月27日)の昼に待ち合わせることになった。

 二俣川(運転免許センター)で免許更新とのことで、それならばと相鉄線起点の横浜駅キリンシティ(横浜モアーズ店)で落ち合うこととした。同店はチェーン店で、以前はよく新横浜店ホームグラウンドにして二人で飲んでいたが、コロナ禍、同店が新横浜から撤退してしまったので、我々にとっては久々のキリンシティである。

 横浜でビールというと生麦生麦事件で有名)に工場があることもあり「キリン」ということになるのだが、キリンシティのビアマイスターによるドイツ伝来三回注ぎの「ご馳走ビール」は、注文してから出てくるまで少し時間がかかるがひと味違う(ような気がする)。

 小生の場合、いつもビールのコースは決まっていて、いずれもRegular Sizeで1杯目は「キリンブラウンマイスター」、2杯目「達人ブレンド」、3杯目「ハーフ&ハーフ」、最後に「黒生」となり、この位飲むとちょうど良い酔い加減になるのである。この日もほぼこのようなペースで飲った。

 この店のつまみも旨い。
 まず「ごちカラ!」は外せない。
 「ご馳走ビールのための唐揚げ」と銘打っており、ビールとの相性が大変良い。昼時だったので、「鱈のフィッシュ&チップス」、「マルゲリータ」、「しらすの焼きじゃが麺」等と次々と注文し平らげた。

 昼ビール
 なんと贅沢なことか。

 この日は、日曜日ということもあり、まわりのご年配の客、若者のグループ、カップルも皆、昼ビールを楽しんでいるようであったが、これが平日であっても同様にビールが飲めるというのが、我々リタイア組の特権である。

 現役時、職場の外で昼食を取っている時、たまにビールを注文している年配の御仁がいたりすると、「うらやましい~」と思ったものだが、我々もそのような立場(歳)になったのか、という感慨がある。このような時を迎えられて、幸せなことなのであろう…。

 ビールのアルコール度数(5%ぐらい)は議論にちょうど良いようだ。日本酒だと議論に熱を帯びるが、ビールは軽い酔い加減で、翌日、記憶に残る議論ができる。

 この日も話題は多岐にわたり、我々前期高齢者の関心事であるe-Tax(確定申告)やマネーフォワード(会計ソフトによる財産管理)の話しから始まり、少し熱を帯びてくるとキッシー(岸田首相)で憲法改正ができるのか?という話しから(二人とも卒論憲法問題なのだ)、昨今のウクライナ情勢から、発展して東アジア問題にどのように関わってくるかなどと、回りから見れば「いいオヤジ二人が何の話しをしてるんだ」と思われるような床屋談義がつきない。

 いつも議論し出すと堅い話題が続くのだが、昔の思い出話も出てくる。
 例えば「七福」(しちふく)の話し。
 古い国士舘のOBなら知っていると思うが、世田谷区役所第二庁舎の裏手にあったカウンターだけの居酒屋で、ここに屯するのは空手道部吹奏楽、そして言道部(安井先生と小生等)。つまみは焼き鳥と煮込みと缶詰。親爺はといえば客と一緒になって飲んでいて勘定の計算が出来ないことはしょっちゅうだった。こんな他愛もない話しで盛り上がるのである。

 さて、十分飲んで食べたのだが、締め蕎麦を食おうと言うことになり河岸を変えた。熱燗で蕎麦を流し込もうと思ったのだが、こちらの店は「まん防」で酒類の提供は停止とのことだった。残念。

 おとなしく蕎麦を食って家路についた。

黒生「ごちカラ」と「鱈のフィッシュ&チップス」しらすの焼きじゃが麺」

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伊井兄と小生
 小生「家でビールは飲まない派」なのでたまに来るキリンシティのビールが楽しみなのである。

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追記
 本文に書かなかったが、伊井兄との話しの中で、国士舘大学極プロ」(極東国際軍事裁判研究プロジェクト)の執行責任者であった元法学部比較法制研究所長・篠原敏雄先生(故人)のことに話題が及んだ。ここに詳しくは書かないが、先生のご冥福をお祈りすると共に産経新聞「阿比留瑠比」氏の篠原先生を追悼する記事(2017.11.17)を是非ご覧いただきたくリンクを貼っておきたいと思う。

www.sankei.com

 

2月23日に寄せて_富士山を撮る!


 2月23日!
 知っている人は知っている。
 そう「富士山の日」である。

 静岡県山梨県をまたぐ位置にあることから、平成21年と23年にそれぞれの県の条例で制定されたものである。

 関連して、富士山は静岡県のものか、山梨県のものかという子供じみた論争があるようだが、親父は静岡県人だったので、静岡から見る富士に愛着があったようである…。

 ネット上に面白いコラムがあったので紹介すると、富士山の8合目以上は富士山本宮浅間大社の敷地(私有地)であることは広く知られているが、同社が建立されているのは静岡県富士宮市である。よって富士山は静岡県のもの !? 思わず笑ってしまった。

 まあここでは「日本の富士山」ということにしておきたい。

 実は、(趣味無し人間の)小生がカメラを趣味にしてみようかと思ったのも、富士山を撮りたかったのがスタートであり、引退後は思い立つと無計画に東名、中央道を飛ばして撮影に出かけたりしている。一応は天気予報や各地の富士山ライブカメラを確認してから出かけるのだが、天候(雲模様)は変わりやすく、いまだに良い写真が撮れないでいる。いつかは11回の富士登山で感じた、美しいだけではない荒々しい富士山を撮ってみたいと思っている。

 遠出もするが…
 最近は地元神大寺周辺富士見スポットを探して、富士遠景を撮ることが多い。地元歩きをしながら発掘した三箇所の富士見スポットのうち、一押しのスポットからの夕暮れの富士を掲載する。2月23日の富士をお届けしたかったのだが、同日は雲に隠れて顔を出してくれなかったので、2月25日の撮影であることをお断りしておく。

By EOS-RP f:id:inkyoclub:20220228121523j:plain

By コンデジCanon S120)
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ブログ開設1周年に寄せて_「健康管理」に関わる雑感!

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 ブログを開設し、「初めての投稿」から今日(R4/2.15)で満1年を迎えた。

 1年間、特にテーマは決めず、色々と雑記的に書いてきた。

 今後も過去のこと、現在のこと、これからのこと等について気の向くままに書いていこうと思うが、カテゴリーを見ると「健康管理」に関する記事が2件と少ない。

 健康については、一応人並みに関心はあるし、実は三日前、洗顔の際にギックリ腰をやってしまい(何年かに1回はやる!)、まだ椎間板がピリピリしているので今も安静にしている。健康であればこそ人生何でもできると痛感しているところであり、本日は、自己の健康管理(問題)について少し書いてみようと思う。

 小生、現役時(国士舘大学職員時代)は基本的に健康で、特に大病をしたことはなかったが、よりによって、早期退職を決意した年(H29年)に人生2度目入院をする羽目になってしまった。それも1ヶ月間も…。
 因みに、1度目の入院は小学生高学年の頃で、盲腸で1週間入院したときである。

 盲腸と書いて、はたと思い出したことがある。
 いきなり本筋を外れ余談で恐縮…。

 以前、現役時の上司で池松武志先生のことについて書いたが、そのまた上司で小熊康之先生という方(当時学生部次長: 学生部のナンバー2)がおられた。旧軍大日本帝国陸軍)出身で、満ソ国境ノモンハンソ連軍と戦ったというの人である。の人ではあるがの人でもあり、ノモンハンの話しを何度か伺ったことがあるが、いつも眼を真っ赤にされ、激戦の様子を熱っぽく語っておられた。ご自宅で奥様の手料理をいただきながら話しを伺ったこともある。池松先生といい、国士舘には近現代史の貴重な生き証人がたくさんおられた。

 そのような思い出話しと共に、次のような話しをしてくれたことをハッキリと覚えている。それは小生がまだ職員になる前のことだが、小熊先生が盲腸になり、手術のため1日だけ仕事を休んだのだそうだ。俄には信じがたいが、つまり、手術の翌日には出勤したということなのだ! 後年、そのことを悔しがって、「あの時は1日休んでしまった」(手術で休むのは当然だと思ったが…)と、やはり涙ぐみながら小生等に語っておられた姿を思い出す。

 そのような方が我が上司である。
 当時、小生等は私用で仕事を休むようなことはなかったと記憶している。風邪ぐらいで休むようなこともない。有給休暇という制度があることを知ったのもずっと後年のことだ。そのような時代だったのである。

 話しを戻す。
 小生、早期退職を決意した平成29年の6月19日から7月17日までの1ヶ月間、緊急入院することとなったのだが、結論から言うと、胆嚢炎胆管炎という診断であった。入院する同日、何か内臓に異変が生じたような、初めて感ずる嫌な痛み・気分を覚えている。

 小生が入院先の病院から職場に発信したメール記録が大学メールシステムの奥深くから発見されたので、以下に掲載し説明に代えさせていただく。このような情報を公開するのはどうかとは思ったが、リアルに当時の状況を伝えており、自身の記録とするためにも書いておくこととした。


【H29/7.3メール】
●●(課員)殿先程、担当医から説明があり、明日、内視鏡による石除去の手術を行うこととなった。それと、二転三転しているが、来週、胆嚢摘出手術を行う可能性が浮上してきた。今週の消化器科と外科の調整で決まるとのこと。以上連絡しておきます。

【H29/7.5メール】
●●殿(Cc: 学部長)業務報告拝受。昨日の内視鏡手術により本日は気怠い一日であった。胆管出口を切開し石をかき出したようで、終日みぞおちの奥の方がモヤーと重たいような感じが続いている。手術そのものは、この間の手術と違い、点滴から麻酔薬を注入するもので、段々意識が薄れていく感覚が快感になっている。先程、担当医から外科との調整で、来週、胆嚢摘出の手術を行うとの連絡があった。曜日は未定。とすると、退院は再来週ぐらいではないか?と予想している。
【H29/7.12メール】
●●殿暫く電話を否としたい。手術は無事終わったが、麻酔が切れてから一秒一刻を激痛に耐えている。後何日我慢すればいいのかばかり考えている。6時間毎の沈痛剤の点滴だけが楽しみ。


 当時のこのような状況下、これは職場復帰は不可能ではないかと病院のベットの上で真剣に考えていた。
 …が、人の体とは不思議なものである。

 人間は外傷を負っても、時間をかけてその傷を自らの力で治していくように、体の中(内臓)の傷も同じように、自らが持っている自然治癒力が治していくのである。

 一日一日と経過するうちに、不思議にも少しずつ体が癒えてきて、段々と体力が回復していく感覚を覚えるのである。この時は、人体(人間)とは大したもんだと心の底から思った。

 退院後、しばらく休みをもらったが、やがて職場復帰を果たすことができた。

 そして、上司、部下(課員)、関係部署等々の力添えを得て、年度の事業計画も全て終えることができ、無事に年度末の退職を迎えることができたのである。

 今振り返れば、ただただ感謝あるのみ

 

 退職後…、
 体は年相応に多少のガタが来ており、若い頃とは違うが、もう一度(12回目の)富士山に登るという目標がある。

 日々、自身の体と向き合い、主治医の言うことも良く聞き、健康維持に努めていきたいと、素直にそのように思っている。


出番を待っている富士登山用三足目の登山靴(伊スカルパ社製)
 国士舘大学応援団の富士登山は富士吉田口馬返し(1合目の手前)から登って、大砂走りを駈け下り、御殿場口5合目まで降りてくる。初めての富士山はスニーカーで登ったが、経験を経て足回りはしっかりと固めた方が良いと学んだ。

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一昨年の今日(R2/2.13)_武蔵陵墓地清掃奉仕活動に参加して!

 写真は一昨年の今日(R2/2.13)、コロナが蔓延する直前に実施された国士舘皇居勤労奉仕による武蔵陵墓地清掃奉仕活動の様子を撮影したものである。同奉仕団及び小生の記録として掲載しておく。


昭和天皇武蔵野陵(むさしののみささぎ)御前にて

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清掃活動の様子

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御下賜品伝達式
 参加者全員整列/宮川団長から大西前団長へ御下賜品の授与

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直会(なおらい)
 宮川団長の音頭で乾杯! 皆さんお疲れ様でした!

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EOSと共に中世の旅2_「石橋山古戦場」&「しとどの窟」を訪ねて!


 趣味無し人間の唯一の趣味らしきものが「読書」であるとどこかで書いた。

 読書といっても現役時の仕事に関わる(主に社会科学系の)読書ではなく、その対象は時代小説(人文系)であり、突き詰めていうと本の世界を旅する「歴史旅」が趣味なのである。

 もう少し空想的・情緒的に説明を加えると、本の世界に浸り、時空を超えて過ぎ去った時の流れをさかのぼり、その時代の息吹を感じながら、その時代を生きた人々に思いを馳せ(人がどのように生きどのように死んだか…)、「歴史を旅すること」といえようか。

 そしてそれは、本の世界に入ることと併せて、歴史の現場を訪ね、歴史の主人公が歩いた道を辿ってみることにより、より実感的に体感することができるような気がするのである。

 さて、1月10日付けのブログで令和4年のNHK大河ドラマについてふれた。

 「鎌倉殿の13人」は、現在、小生が感心を寄せている中世が舞台である。

 今年は、毎週放映される番組を見ながら、まだ訪ねたことのない歴史の舞台を巡ってみようと思っている。

 2月6日に放映された第5話は、頼朝等が以仁王の令旨(りょうじ)を奉じて挙兵(1180年)し、伊豆国目代である山木兼隆を襲撃後、鎌倉へ向かう途中の石橋山の合戦大庭景親平氏方の圧倒的な兵力の前に惨敗、そして石橋山の山中を逃げまどい、しとどの窟(いわや)に身を隠すという場面である。

 石橋山に隣接する国道135号線は伊豆方面に出かけるとき、幾度となく行き来したが、まだ石橋山古戦場を訪ねたことは一度もなかった。そして、身を隠したとされるしとどの窟もその名を耳にするのみであった。

 今般は、この二箇所を訪ねてみた(R4/2.8)。

 EOSの出番である。


石橋山古戦場跡小田原市石橋)
 海岸線(国道135号線)から少し登ったところにある石橋山古戦場の石碑/石橋山から眼下に相模湾を見下ろす。

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佐奈田霊社与一塚(石橋山古戦場跡の石碑から少し登った処にある)
 石橋山の戦いで討ち死にした頼朝方先鋒の佐奈田与一義忠が祀られている。吾妻鏡によると、建久元(1190)年、頼朝は伊豆山権現参詣の帰りに境内の与一塚に立ち寄り涙を流したと伝わる。

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しとどの窟足柄下郡湯河原町
 頼朝等は石橋山の敗戦により山中を彷徨い、しとどの窟に身を隠したとされる。小生は、箱根ターンパイクの大観山展望台から椿ラインに入り、椿台レストハウス先の子安地蔵尊に車を乗り捨て、山道を徒歩で下った。人っ子一人いないつづら折りの急坂を下り、下りきったところから少し登り、しとどの窟へ行き着いた。片道15~20分程の行程であるが急勾配の下り坂と上り坂は前期高齢者にはキツい。辺りには霊気が漂っているような雰囲気があり、手を合わせ念仏を唱えずにはいられなかった。

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EOSの日_横浜中華街に2度目の正月「春節」がやってきた!


 「春節」は、旧暦における元日(旧正月)のことである。

 明治期に新暦に切り替えた日本ではほとんどなじみがないが、ここ横浜ではそれを味わえる場所がある。そう中華街である。横浜中華街には新年が2回やってくるともいわれている。

 旧暦のため春節の期日は年によって変わるが、今年の春節2月1日

 街全体がお祭り気分で、各通りには赤い提灯やイルミネーションが連なり、横浜中華街が最も華やぐ時期である。

 だがコロナ禍、神奈川県にもいわゆる「まん防」が適用され、昨年同様に多くのイベントが中止となり、少し寂しい春節となった。

 また、今週末に開幕する北京冬期五輪を前にして、本日(2月1日)の衆議院本会議で中国での人権状況に懸念を示す決議が賛成多数で採択された。日中間に漂う問題は多い。

 色々あるが…、
 ともあれハマッ子としては、毎年めぐってくる地元の行事でもあり、少しだけその雰囲気を味わっていただこうとEOSを肩にかけ街歩きに出かけた。

朝陽門
 横浜中華街には10基の牌楼(ぱいろう: 門)が各所に建てられている。中でも東・南・西・北の門には風水思想に基づきそれぞれ守護神が置かれており、東に位置する朝陽門は青龍神により守られている。山下公園側にあり、みなとみらい線元町・中華街駅からは、この牌楼を通って中華街へ入ることになる。

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善隣門
 善隣門は中華街大通りの入口にあり、中華街で最初に開設された門である。当初、この街は南京街と呼ばれており、この門ができてから中華街と称されるようになったようだ。善隣門は小生の親父が勤務した加賀町警察署のすぐ目の前にあり、この辺りはなじみが深い場所だ。

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龍が舞う中華街大通りの春節燈花
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同発(どうはつ)
 一般の方にはどうでもよい話しだが、同発国士舘大学同窓会神奈川県支部を立ち上げる際、その準備のために頻繁に会合が催された場所だ。当時まだ20代であった小生、職場の後輩の岩田兄などと、体育学部1期生以下の大先輩方に交じって会の末席で気を吐いていた頃が懐かしい。

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華正楼(かせいろう)
 何故かこの店の名前は小生が小さい頃から知っている。親父か、或いは親父の職場のなじみの店であったようだ。小さい頃は親父のお土産が楽しみだった。

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長門関帝廟通り)
 ここから三国志関羽将軍を祀る関帝廟に向かうことにしよう。
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関帝廟(かんていびょう)
 三国志ファンの方は多いと思うが小生もその一人である。中国後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代の興亡史であるが、劉備関羽張飛の三人が義兄弟の契りをかわした桃園の誓いの言葉を記憶している。「我ら生まれた日は違えども死す時は同じ日同じ時を願わん

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関帝廟内の関羽将軍
 入口で線香(日本式と異なり太くて長い: 五本)を買い求め、中国式のお参り方法で参拝した。まず五本の線香に火を点け、香炉の前で三拝し、線香を一本供え一拝。香炉が五箇所あるので各香炉でこれを繰り返す。その後、廟の中へ。正面が関羽将軍である。厳粛な雰囲気である。

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善隣門前の加賀町警察署の前庭にもオブジェが!

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Digital社会への対応_「e-Tax」で退職後4度目の確定申告を完了!

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 4年前(H30年)のことである。

 早期退職後、直ぐにマイナンバーカードを申請した。

 申請手続きはすべてパソコンで行ったが、受け取りはアナログ的で、区役所から電話による連絡があり、説明に従い、出頭する日時を○日の○時○分から○時○分というように細かく調整し、当日、対面による本人確認と電算上の諸設定(4つのパスワードの設定等)を経て、漸く発行となった。

 申請から発行まで約2ヶ月弱を要した。

 マイナンバーカードの交付を受け、これで退職後初めての確定申告e-Taxで行う第一段階の手はずを整えた。

 かつて親父の確定申告(医療費申請)を区役所の窓口で行ったことがあるが、事前に領収書を整理して明細書等の書類をつくり、当日は行列にならび大変な思いをした経験がある。その記憶もあり、自身が確定申告をする場合はe-Taxと決めていた。

 小生などは、基本的に年金収入が中心なので、確定申告をする必要はないと思っていたが、退職の年に大口の寄附をしたり、現役時に中々行けなかった歯医者に通い始めて、医療費が一定額を越えたことにより手続きをすることになったものである。

 次のステップとして、必要な機器を準備しなければならない。

 e-Taxを行うにはパソコンの周辺機器として、マイナンバーカードを読み取るためのICカードリーダー/ライター写真)が必要となる。(スマホで行う場合は必要ない)

 行きつけのビックカメラ新横浜店で、売れ筋の機器を購入し、自宅でパソコンとの接続を行い問題なく設定を終えた。

 さて、いよいよ入力手続きである。

 手順は、国税庁のホームページから確定申告書等作成コーナーを開き、流れに従って入力していけばそんなに難しいことではないはずなのだが…。

 また国税庁が作成したYouTubeの番組もあり、懇切丁寧に申請手続きについて説明されてもいる。

 ところがである。

 最初はかなり手こずる。

 入力項目の選択、どこにどの数字を入力するか、結構迷う。

 併せて入力する際に必要な書類がすべて揃っているか否か、が重要である。

 取り敢えず書類が揃っていれば、そこに記載されている数字を一件一件入力していけば手続きが進行していくはずなのだが…。

 参考までに、4年前の手続きの際に、小生が準備した書類を列挙してみよう。

  ①給与所得の源泉徴収票

  ②社会保険料控除を受けるための保険料の納付証明書

  ③公的年金等の源泉徴収票

  ④生命保険料控除証明書

  ⑤地震保険料控除対象掛金証明書

  ⑥寄付金受領証

  ⑦医療費明細書(医療機関名・医療費・受診日等)

 である。

 これらの書類は1年の間に、適時郵送されてくるので、紛失しないようにすべてひとまとめにしておかなければならない。

 特に医療費については都度、領収書を保管し、国税庁が指定するフォームを確定申告書等作成コーナーのサイトからダウンロードして、予め入力しファイルを作成しておかなければならない。

 上の書類を手元に置き、確定申告書等作成コーナーから手順に従って、いろいろ迷いながら必要事項を入力し手続きを進めていく。

 最終的に手続きが完了すると還付される金額が計算されて表示される。

 結構な金額だ。

 この時の還付金は6桁の金額になった。

 確定申告を行う意味は大きい。

 以上が4年前に行った手続きの概略である。

 以降、同様の作業を毎年行い、今年も4度目の確定申告をこれまでの経験を生かしてスムースに完了させた。(言い忘れたがe-Taxの場合、1月から申請できるのだ)


 昨年9月にデジタル庁が創設され、今後更に行政サービスの効率化等の諸施策が進められていくようである。

 前期高齢者の範疇にある小生も、デジタル化の波や世の中の移り変わりに乗り遅れないよう(世間に合わせないようにしているところもあるが…)脳に刺激を与えていきたいと考えているところである。

 

 

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