隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

EOSと共に中世の旅2_「石橋山古戦場」&「しとどの窟」を訪ねて!


 趣味無し人間の唯一の趣味らしきものが「読書」であるとどこかで書いた。

 読書といっても現役時の仕事に関わる(主に社会科学系の)読書ではなく、その対象は時代小説(人文系)であり、突き詰めていうと本の世界を旅する「歴史旅」が趣味なのである。

 もう少し空想的・情緒的に説明を加えると、本の世界に浸り、時空を超えて過ぎ去った時の流れをさかのぼり、その時代の息吹を感じながら、その時代を生きた人々に思いを馳せ(人がどのように生きどのように死んだか…)、「歴史を旅すること」といえようか。

 そしてそれは、本の世界に入ることと併せて、歴史の現場を訪ね、歴史の主人公が歩いた道を辿ってみることにより、より実感的に体感することができるような気がするのである。

 さて、1月10日付けのブログで令和4年のNHK大河ドラマについてふれた。

 「鎌倉殿の13人」は、現在、小生が感心を寄せている中世が舞台である。

 今年は、毎週放映される番組を見ながら、まだ訪ねたことのない歴史の舞台を巡ってみようと思っている。

 2月6日に放映された第5話は、頼朝等が以仁王の令旨(りょうじ)を奉じて挙兵(1180年)し、伊豆国目代である山木兼隆を襲撃後、鎌倉へ向かう途中の石橋山の合戦大庭景親平氏方の圧倒的な兵力の前に惨敗、そして石橋山の山中を逃げまどい、しとどの窟(いわや)に身を隠すという場面である。

 石橋山に隣接する国道135号線は伊豆方面に出かけるとき、幾度となく行き来したが、まだ石橋山古戦場を訪ねたことは一度もなかった。そして、身を隠したとされるしとどの窟もその名を耳にするのみであった。

 今般は、この二箇所を訪ねてみた(R4/2.8)。

 EOSの出番である。


石橋山古戦場跡小田原市石橋)
 海岸線(国道135号線)から少し登ったところにある石橋山古戦場の石碑/石橋山から眼下に相模湾を見下ろす。

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佐奈田霊社与一塚(石橋山古戦場跡の石碑から少し登った処にある)
 石橋山の戦いで討ち死にした頼朝方先鋒の佐奈田与一義忠が祀られている。吾妻鏡によると、建久元(1190)年、頼朝は伊豆山権現参詣の帰りに境内の与一塚に立ち寄り涙を流したと伝わる。

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しとどの窟足柄下郡湯河原町
 頼朝等は石橋山の敗戦により山中を彷徨い、しとどの窟に身を隠したとされる。小生は、箱根ターンパイクの大観山展望台から椿ラインに入り、椿台レストハウス先の子安地蔵尊に車を乗り捨て、山道を徒歩で下った。人っ子一人いないつづら折りの急坂を下り、下りきったところから少し登り、しとどの窟へ行き着いた。片道15~20分程の行程であるが急勾配の下り坂と上り坂は前期高齢者にはキツい。辺りには霊気が漂っているような雰囲気があり、手を合わせ念仏を唱えずにはいられなかった。

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