隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

昭和の日に寄せて_国士舘皇居勤労奉仕団の足跡

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第2回_国士舘皇居勤労奉仕(S61.3.25~28)
皇居宮殿御車寄せにて天皇陛下(後の昭和天皇)のご会釈を賜る

        「日の本に 生まれ出でし 幸ひを 陛下の御前で 胸にかみしめ」
                   (S61第2回皇居勤労奉仕団奉呈歌 詠人不知)

 昭和の日に思い起こされることがある。
 それは、国士舘皇居勤労奉仕のあれこれであるが、同奉仕団は、昭和60年(1985年)、国士舘に在籍する有志教職員及び志学生等により結成され、平成28年(2016年)に結成30周年を迎えた。30数年前の結集が、母校をはじめ、学内外のご理解とご支援を得て細やかな水流となり、今日までその活動が維持されてきたことは大変喜ばしいことである。

 本学奉仕団の活動は、毎年時期を調整し、皇居及び赤坂御用地において4日間奉仕活動(清掃等)に汗を流すというものである。
 期間中、天皇・皇后両陛下及び皇太子・同妃殿下ご会釈が予定されており、参加する学生達にとって、憲法典に規定される天皇とは何か、また皇室の存在意義について、机上を離れ、奉仕活動という実践の中で身を以て学ぶことのできるともなっている。

 国士舘奉仕団は、奉仕期間中、必ず一首以上の和歌を詠むことを課している。
 初代大西団長(元国士舘高校国語科教諭)の校閲を経て墨書・清書し、宮内庁を通じ天皇陛下奉呈させて頂いているが、学生らの詠む和歌の中に、彼ら彼女らがこの活動を通して何を考え今どのように感じているか、その答えが凝縮されている。

 それらをまとめた和歌集『春の宮居に-国士舘皇居勤労奉仕団奉呈歌集』は、第一集(S60第1回~H6第10回、のべ参加人数260名、歌数394首)、第二集(H8第11回~H17第20回、のべ参加人数218名、歌数366首)、第三集(H18第21回~H28第30回、のべ参加人数278名、歌数382首)と発刊された。
 各巻のページをめくり、一首一首を読み返していくと、国士舘皇居勤労奉仕団が何を為してきたか、言葉で説明するまでもなく実感をもって理解することが出来るのである。

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「春の宮居に」第一集/同 第二集/同 第三集

 


 前述した国士舘皇居勤労奉仕団結成30周年に際し、「思い出の記」(H29.4.29)を編集したが、以下に小生の投稿を抜粋・掲載し、足跡として残しておきたい。

『 ■ 皇居勤労奉仕団と国士舘建学精神 ■

 国士舘皇居勤労奉仕団結成30周年に当たり、また、私的なことではあるが、自身の国士舘人生最晩期を迎え、己の人生を遡り、自身の原点でもある、なぜ国士舘を志したかなぜ国士舘職員となったか、そして、なぜ国士舘皇居勤労奉仕団に関わったか、それぞれに通底する共通の想いを短く記してみたいと思う。

 まず、自己が形成された高校時代に触れておきたいと思うが、私の高校生活は、昭和45年から48年であり、世相は正に70年安保を背景とした政治の時代学生運動の時代であり、否が応でも政治というものを身近に感じた時代であった。自宅からほど近い神奈川大学の、学内に拠点を持つ新左翼セクトと同大の周辺を固める機動隊との攻防戦を日常的に見てきた世代である。

 その様な社会的状況の中で、高校へ入学したばかりの私は、まだ、思想も理論も、何も持ち合わせていない単なるノンポリティカルな高校生であったが、ただ、あの様な革命を標榜する集団に与しないことは勿論のこと、むしろ、その対極に起ちたいという単純な「心情」だけを有する、多感な高校生であったと思う。

 転機は、昭和45年、高校1年生の時に訪れた。
 私の人生を大きく変えた所謂三島事件が、11月25日に起こった。その時は何が何だか分からなかったが、今日まで年賀状の遣り取りをさせて頂いている当時の担任のM先生が、下校時のホームルームで、事件の概要を涙ながらに我々に語ってくれた姿を今でも鮮明に覚えている。
川和高校時代(卒業アルバムより)

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 振り返れば、それまでは1年365日卓球一筋の卓球少年であったが、あの時から私の人生は大きく舵を切ることとなった。私の高校は、横浜北部の川和高校という一応進学校と言われている高校であったが、それ以来、勉強そっちのけで、「政治」に関心を持ち、生徒会活動写真上)にのめり込み、そして、三島由紀夫を追悼する憂国忌という行事に参加した際、同追悼式を執行する国士舘関係者(当時学生、お名前を出すとご存じ寄りの方は多いと思う)と出会うこととなった。

 このような経緯を経て、昭和48年4月、「歴史と伝統を尊ぶ」建学精神に共鳴し、国士舘大学法学部に入学、そして、言道部(所謂弁論部)の門を叩くこととなった。
 同クラブにおける論題(弁論のテーマ)は、常に三島が唱えた憲法改正早稲田大学で行われた全関東雄弁連盟新人戦写真下)では、恐れを知らず同テーマで論理を展開し、質疑応答で天皇自衛権について熱い舌戦を繰り広げたことを昨日のことのように記憶している。
S49.10.19_全関東雄弁連盟新人戦(於.早大_小生2年次)

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 そして4年生、無論、卒論のテーマ憲法改正であった。人生の岐路に起ち、自身の将来をどうするか…、迷わず建学精神を貫く国士舘の構成員となる道を選んだ。採用されなかったときは憧れであった頭山満の如く浪人となる覚悟で、その他の道は全く考えていなかった。
 幸いにも、国士舘職員となり、その後、紆余曲折と奮闘の日々が8年ほど続く。この間の事は、本日は触れずいずれ別の稿で書くこととするが、長い時間の経過を経て、昭和60年3月、大西貫也先生を始め有志職員と有志学生を中心に、第1回国士舘皇居勤労奉仕が結成された。

 実は、第1回奉仕団に小生は加わっていないが、この時期に着目して欲しい。昭和60年がどのような年であったか。昭和58年以降の所謂国士舘紛争終結し、関係者は、これから何をなすべきか、国士舘は如何にあるべきか暗中模索していた時期であったと思う。その様な中、有志教職員と有志学生は、その解決策を伝統的な建学精神に求め、皇居勤労奉仕結成へと帰結したものと思量する。

 以来、30回を重ね、今日に至る。

 だいぶ端折って書いてきて、末尾に、いきなりネガティブなことを言うようであるが、今日、総合学園国士舘大学は大きく発展し、これからも発展し続けるであろうが、もし、国士舘皇居勤労奉仕団が幕を閉じる時が来るならば、それは同時に、「私塾国士舘が終焉するときであろうと強く感じている。

 願わくば、を継ぐ有為の人材が出てきて呉れんことを希うものである。 』

 

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第2回_国士舘皇居勤労奉仕団(S61.3.25~28)集合写真(赤坂御所にて)

 

屋根瓦補修工事あっという間に完了!やはり地元業者が安心・便利!

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自宅の破損した瓦

 屋根瓦を修理した。
 経費は24,200円也。

 本件、色々と勉強になったので顛末を記し、備忘録としたい。

 去年の暮れだったか、今年1月だったか?
 斜向かいのIさん宅からご連絡をいただいた。内容は、ご自宅の屋根を修理された際に、業者さんが目視したところ小生宅の屋根にも傷みがあるようだと言っていたとのことで、ご親切にお知らせいただいたのである。

 二階の屋根なので、自分では確認できず、専門業者に依頼しようと思案していたところ、渡りに舟で、たまたま飛び込みで我が家を訪ねてきた八王子リフォーム会社に、屋根の状況の確認見積書の作成を依頼した。
 当該業者、何日かして、はしごを持ち込んできて屋根に登って確認してくれたが、瓦に浮き上がった箇所が複数あり、おそらく直近の台風(2019年の台風19号)によるものであろうとの診断であった。
 当該業者曰く、関連する保険に加入していて、自然災害による被害であれば全て保険が適用されるとのことである。後日、見積書を受け取り、金額は仮設工事及び屋根瓦工事等でおよそ60万円ほどであった。
 小生、農協の建物更生共済に入っていたので、見積書を添付し同保険の適用を申請してみることにした。また、保険が適用された場合、当該業者に仕事を依頼する契約を交わした。

 暫くして、農協の依頼を受けた鑑定事務所から鑑定人が我が家にやって来て、入念にチェックしていった。結果は、後日、農協から連絡するとのことである。

 後日、農協から連絡があった。
 何と、査定額は0(ゼロ)とのことであった。

 これは意外な結果であった。勝手な思い込みであったが、鑑定の結果、減額されるにしても査定額自己負担で補修工事ができればと考えていたが厳しい結果であった。

 農協にお願いし、鑑定人と直接話しをし、なぜそのような結果となったかを確認したところ、まず、原因は不明だが屋根の損壊は自然災害(台風)によるものではない、とのことであった。

 え~、どういうこと?

 先の業者は台風が原因であろうと言うし、鑑定人は違うという。しかも原因不明。

 直近の台風とは、1年以上前の2019年の台風19号であるが、記憶を辿ると、台風が通過した後、近所の家では皆さん屋根を心配し、二階屋根に登って確認されているお宅もあった。先の業者の診断もあったので、我が家もその時に損傷したのであろうと思い込んでいた。
 小生はそういうことに無頓着で、今までも屋根に被害があったことなどないし、雨漏りしているわけでもないので、大丈夫だろうとたかをくくっていたのだが、この点は少し反省もした。

 後学のために、台風の直後に被害が確認されていれば、保険は適用されたか確認したところ、鑑定によるが、明らかに台風による損傷と判断されれば、時間が経過した申請よりは可能性があるとのことであった。

 良い勉強をしたと無理矢理思うことにした。

 いずれにしても保険は適用されない。先の業者との契約も無効となった。
 梅雨のシーズンまでに修理したいと考えていたので、段々と心配がふくらんできた。
 考えあぐねた結果、地元工務店に相談したところ、これも地元の屋根修理業者のさんが来てくれた。聞いたところ、以前、我が家に来てくれたこともあったそうだ。両親から聞いていなかったこともあるが、迂闊であった。
 すぐに屋根に登ってくれて、傷んだ箇所を短時間のうちに修理してくれた。もう大丈夫とのことで、その程度の傷みだったのかと安心した。

 念のため、屋根は自然災害による破損か否かを確認したところ、色々とご意見を伺った。ここには詳細は書かない。

 請求金額は冒頭のとおり。

 やはり、地元業者とのつながりが大事であると痛感した一件であった。

 

神大寺_町内会役員2年目を迎えて

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 本日(R3.4.18)、令和3年度神大寺北町自治(いわゆる「町内会」)の総会が、コロナ禍、変則的ではあるが、三密を避け組長(全38組)さんのみを対象に2回に分けて実施された。

 これにより、小生も役員2年目を迎えることとなった。

 昨年の今頃のことを思い出すが、小生、現役時から、仕事以外に「同窓会」や「クラブOB会」等々の諸活動にたずさわってきた。退職後もそれらと関わっており、今後はできるだけ、活動を整理・縮小していきたいと考えていたところであるが、神大に生まれ育ち、今後も、自身の生活の基板となる地域社会をより良くするためのボランティア活動であると考え、町内会活動へのお誘いをお引き受けすることにした。

 どちらかというと町内会の響きの方がなじみ深いのでこちらの表現を使うが、自治会と町内会は同義であるようだ。1年間活動に携わってきてわかったことは、その活動はけっこう多岐にわたる。

 1年やそこらの経験で全体像が掴めているわけではないが、役職として会計(営繕)を仰せつかったこともあり、総会時に配付された予算・決算書等を見ていると、その活動の範囲がある程度わかる。

 ざっと費目を列挙してみると、環境事業(ゴミ集積所の管理、防犯灯設備、環境部会等)、安心・安全環境づくり事業(防犯協会、防犯パトロール、防災部会等)、社会教育事業(子供会・シニアクラブ・婦人会等)、福利厚生事業社会福祉協議会、ささえ愛部会、災害時要支援者支援等)等々…。

 これら事業内容と行政からの補助金等から見て、町内会の活動は行政(自治体)と連携する中で事業を展開しているようである。

 小生現在も、町内会はボランティア活動であるとシンプルに考えているところがあるが、最近読んだ関連本によると、町内会は法律的には「任意団体」であるが「地域で住民を代表する公的な団体」という位置づけになっているようである。また、行政との関わりの中での、いわゆる公助共助の領域あるいは境界に関わる事柄にも触れられており、ボランティアの範囲を超える課題・問題等もあるようだが、まだ役員1年生には実感としてはよくわからない。

 今は、自身の役割分担の範囲で、末端の仕事ではあるが誰かが担わなければならない仕事である児童の登校時の見守りや町内の美化活動等、ボランティアの基本である己一個(おのれひとり)でできる現場の仕事に真摯に向かい合いながら、町内会のあり方を自分なりに考えていきたいと思う。

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美化活動(ゴミ拾い)の途中で/学援隊(通学見守り)活動

 

酒&肴_町田の老舗「柿島屋」で桜肉を食す


 昨日、今年国士舘を定年退職した元同僚の伊井兄と、久しぶりに町田「柿島屋」(かきじまや)を訪ね、四時から飲みをやった。

 柿島屋といえば町田一の老舗。まだ横浜線小田急線も開通していない、現在同店で提供されているキリンビールもまだ販売されていない、明治17年1884年)の創業である。

 明治17年と言えば、歴史の授業で習った鹿鳴館華やかりし頃であり、小生の関心事でいうと、田代栄助等率いる秩父困民党による秩父事件が起こった年である。

 ネットの情報によると柿島屋は、当時、神奈川往還(八王子と横浜を結ぶ絹の道)の中継地である町田で馬喰(ばくろう:運送用の馬の仲買商人)を営んでおり、そこから今日の馬肉専門店に発展したようである。

ja.wikipedia.org

 小生が初めてここに来たのは大学生の頃だから、もう40年以上通っているわけだ。ということは、行きつけの店の中で最も長く通っている店になる。当時は、現在の場所ではなく、小田急町田駅東口の真正面にあり、今と同じように、気軽にワイワイ飲んで食べていける、いわゆる大衆的なお店であった。

 さて、アルコールであるが、まずは生ビール(キリン)で乾杯。次にサワー系に移る。
 これらはいわば前哨戦で、締めは必ず梅割り(甲類焼酎)となる。梅のエキスで口当たりがよく非常に滑らかに喉に入っていくのだが、調子に乗って呑んでいると、短時間の内にボルテージが上がり、下手をすると酩酊して帰れなくなってしまう。何杯までと上限を決めておかないと痛い目にあう。この日は、小生は2杯、I氏は1杯を上限とした。

 つまみはお決まりの馬刺し(上)から始まり、メンチチョリソー肉皿…の馬づくし。いつ来ても、ほぼ同じ物を同じ順番で注文し食す。

 この日、携帯のGoogleマップタイムラインによると16時00分から17時57分まで、よく飲みよく喰い、いつものように楽しいひとときを過ごした。

 年に何回かは来たい店である。

 

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柿島屋正面・平日は4時開店/最後は梅割り焼酎

 

男厨_旬の新玉ねぎ料理にチャレンジ!

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 野菜料理をよく作る。
 最近は料理を新たな趣味にしている。

 買い出しは近場に農協の直売所があり、旬の野菜を中心に購入する。食べ尽くしたらまた買い出しに行き、食品ロスは出さないようにしている。
 野菜は、ほぼ毎日食べるようにしているので、だいぶレパートリーがふえた。

 今回は、YouTubeで見つけた新タマネギの料理が旨そうだったので作ってみた。(筋肉料理人の簡単レシピ「新タマネギとサバ缶の焼きサラダ」参照)

 レシピを簡単に説明すると、

ニンニクふたかけをスライスし、オリーブオイルで焼く。

新玉ネギ2個を二等分し、レンジでチン。

ニンニクを取り出し、残りのオリーブオイルでチンした新タマネギを焦げ目がつくまで焼く。そこにサバ缶の汁を投入、更に焼いて皿に盛る。

サバ缶の残りの身に酒を少々加え焼く。プチトマトを投入し併せて焼く。⑤皿に盛った新タマネギに④を加え、取り出しておいたニンニクを散らし、刻みネギとポン酢をかけ完成(写真下)。

 我ながら上手くできた。

 美味。

 あわせる酒はキリンの「富士山麓オンザロックで。

 これまた美味。

 

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国士舘OB列伝_技斗番長・高瀬將嗣兄を偲ぶ


 令和2年5月25日、高瀬將嗣兄は逝った。

 本記事を公開するには少し躊躇いがあったが、先日、ご内儀より、高瀬道場創立50周年記念公演(R3.5.8)のご案内をいただき、故人を追想することも一つの供養と考えアップすることにした。

 高瀬兄は小生と国士舘大学のクラブ(言道部:いわゆる弁論部)を同じくし、2学年後輩にあたる。小生とは言道部、望岳寮同期で、国士舘高校出身の来丸(らいまる)秀男(写真右,左小生:於大講堂)という苦楽をともにした親友がいるが、高瀬兄もまた同高校出身であり、来丸兄を慕って同クラブに入部してきたのである。

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 因みに、やはり国士舘高校出身で、来丸兄の一級後輩、高瀬兄の一級先輩に石下治明という面白い男がいるがここでは触れない。在学時の思い出はあまりにも濃厚すぎて、本稿では語り尽くせないものがあり、ここでは比較的最近のことについて触れてみたい。

 

 ここに、「昭和高校最強伝 国士参上 !!」という映画がある。
 監督は高瀬將嗣

 1970年代(昭和)を背景に、高瀬兄の国士舘高校時代の実体験を元に、アクションドラマで描かれたエンターテイメントである。有り体にいうと東京二分する不良高校(生)抗争青春を描いた娯楽活劇であるが、見どころは高瀬監督の専門とする技斗(ぎとう)と(ピリッ山椒をきかせたような)一方の皇士舘高校(国士舘高校)の館長(津川雅彦)及び教師(秋野太作)に語らせる、高瀬兄が学んできた国士舘教育奥義である。

 小生は、現在の国士舘に受け入れられるか否かは別として、特に後者から、高瀬兄のこだわり思いの詰まった作品であると感じた。はたして…、小生の所属(当時)する国士舘大学法学部のS教授F教授が映画を評価(絶賛?)されたのである。

 OBである高瀬兄が評価されるのは嬉しいことである。同じ時代を生きたOBの我々が共感するのはわかるとして、いわゆる武闘派とはほど遠い学者である両先生が、映画に感銘し高瀬監督を大学に招聘し、法学部教員有志との懇談会を開催されたのである。

 私もS教授、F教授をよく存じているが、先生方が、どこの琴線にふれてそのように感じられたのかは、正直なところわからなかった。今でも推測するのみであるが、察するところ、高瀬兄の映画への思い入れ生き様破天荒さ国士舘人らしさ…、それらを反映した作品の面白さ、そして高瀬兄の人間的魅力であろうか。

 F教授はその後も高瀬監督ゼミに招聘してOB特別講義を行っており、令和2年度もゼミで「国士参上 !!」上映会を行う予定であったとのことである。

 その矢先の旅立ちであった。

 人の死はこの世との別れであるが、この世に何を遺したかはその人の生きた証であり、その人の人生の価値である。

 その意味において、高瀬兄は親父殿遺志を継ぎ、自身が立ち上げた芸道殺陣波濤流高瀬道場を今日のように発展させ、数々の作品を世に送り出し、多くの門人を育成するという仕事を為してきた。恐らく高瀬兄の門人達ご内儀(ご内儀もまた門人である)により継承され、更に次の世代へと受け継がれていくことであろう。

 小生もそれを見守っていきたい。

 一周忌を前にして、高瀬將嗣兄を偲ぶと共に改めてご冥福を祈りたい。

 

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法学部教員有志に自身の監督人生について語る高瀬将嗣氏(H29.2.28)
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高瀬監督を囲んで懇親会(同上)

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法学部Fゼミにおける特別講義後の記念写真(R2.1.9)

 

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高瀬道場創立50周年記念公演

 追記
 
5/8の50周年行事は、7/17(土)に延期の方向で調整中とのことです。
 下記ホームページをご覧ください。

www.takase-dojo.com

男厨_旬の筍(タケノコ)を食す


 隣家よりタケノコを頂いた。
 ご自宅の庭で収穫されたものだが、立派なタケノコで、早速あくを抜き、煮物にして酒の肴にした。仏様にも供えた。

 我ながら美味!

 実は昨年も頂戴しているのだが、下処理に失敗して味はイマイチだった。今年は入念にYouTubeで学習し、あく抜きの方法、煮物にするときのだし汁みりん醤油バランスを確認し、落としぶたを用い丁寧に調理した。

 結果は前述のとおり。

 調理を誤らなければ、やはり旬の食材は旨い。

 例年、我が家の狭い庭にもタケノコが出てくる。隣家と地下で繋がっているのだろう。昨年は10本以上あちこちから生えてきて、庭を荒らす邪魔者と思っていたので、発見したらことごとくスコップで掘り返していた。

 今年は、前述の料理の成功体験があるので、食える奴は食ってやろうと、毎日頭が出てくるのを待ち構えているのだが、今のところ細いタケノコが1本出てきただけである。中々期待どおりにはいかない。

 今日も出てこない。

 先日の味が忘れられず、待ちきれずに神大農協直売所に買い出しに行き、大物を1つ仕入れてきた。

 すぐにあく抜きをし、煮物(写真)にしたのは言うまでもない。

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酒の肴 myタケノコ料理

 


■R3.4.17追記
 本日朝、庭にタケノコが頭を出しているのを発見。早速、スコップで掘り出すが、これが結構むずかしい。周囲をかなり掘り返して何とか収穫。即あくを抜き、煮物にした。

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