▼S49.7.26_陸上自衛隊「相馬原駐屯地」体験入隊にて(小生最前列右端)
アルバムは実に思い出の宝庫である。
写真の説明書きに「* 郷友連とともに」(*: 一般社団法人郷友連盟)とあり、日付は昭和49年7月23日~26日である。小生大学2年次(二十歳)、都内の他大生達と陸上自衛隊「相馬原駐屯地」(群馬県)に体験入隊した時のものだ。
当時小生は、国士舘大学で言道部(いわゆる弁論部)に所属していたが、憲法問題、特に第9条(戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認)関連を弁論のテーマ(演題)としていたこともあり、自衛隊の何たるかを、理論ではなく実体験として知っておいた方が良いと考え参加したものである。
もう半世紀近く昔のことであるが、その非日常的な体験について思い出すままに書いてみる。
(もっと長かったような気もするが、)日付を見ると3泊4日の日程であった。
まず一番に思い出されることは、貸与された隊服と半長靴で、炎天下、全員の動作があうまで繰り返される基本教練と歩調訓練(行進)であろうか。
自衛隊では常に集団行動が基本となる。通常、移動する場合や、後から述べる食事や風呂に行く際も、隊列をつくり歩調を整え移動し、全て集団行動をしなければならない。
本体験入隊の参加者は、全員が初参加の大学生達で、最初は前後左右の隊列をあわせることもできないレベルである。「気をつけ」、「敬礼」、「整列休め」(この言葉、始めて知った)、「休め」。そして歩調訓練(行進)。これが、全員の動作があうまで繰り返されるのである。
歩調訓練の延長であったか、「連続呼(歩?)調」(これも始めて知った)というものがある。走りながら、歩調を合わせるために全員で掛け声を出すのだ。「イ-チ、と~れ、ニィ-、と~れ、サ-ン、と~れ、シィ-、と~れ」、「イチ、おー、ニィ、お-、サン、お-、シィ-、お-」、「イチニサンシ、イチニサンシ」。途中休憩を入れながら、終日、基本的な訓練を繰り返す。この積み重ねにより集団が作られていくのである。
確か、所々で腕立て伏せがあった。遅刻すると腕立て伏せ、動作が合わないと腕立て伏せ、元気がないと腕立て伏せ、望嶽寮のように「○○」はないが、何かあると腕立て伏せだ。ペナルティーは腕立て伏せであり、体(筋肉)に覚えさせるのである。当の本人はかなりキツいが、結果的に体力向上にもつながっている。よくできていると今だから言える…。
何日目だか、「徒手格闘」も体験した。
自衛官の白兵戦、徒手格闘戦の戦技として編み出された格闘術で、他に銃剣格闘、短剣格闘がある(と、Wikipediaに書いてあった)。防具なしで二人一組となり、約束で「突き」と「受け」を繰り返す訓練を行ったのだが、教官が鬼教官風であったこともあり、相手(敵を想定)に対峙し、やらなければやられると真剣に考えると、自衛隊は戦う集団であるという本質がわかってくる。因みに小生、大学卒業後、銃剣道の世界に足を踏み入れることになるのだがこれは別稿で述べることにする。
生活面についてもふれておこう。
まずは、ベッドメイキング。これはかなりうるさい(失礼!)。ベッドは上下二段でスチール製の狭いタイプである。狭くても寝る分には快適だが、シーツの敷き方、毛布のたたみ方(バウムクーヘンのように!)、しわの無いように、ずれの無いように、ピシッ!と完璧にメイクしなければならない。それを起床から次の動作までの短時間の内に終えなければならないのだが、ダメだしもある(ダメだし程度はまだいい方らしい。ベッドをひっくり返されることも普通にあるそうだ)。
何故うるさいか? 正解は上手く説明できないが、整理整頓に関係があるようだ。関連するが、最近、次のような言葉を知った。「生き残りたければ片付けろ!」。自衛隊式片づけ術である。興味ある方はネットを検索されたい。
次に食事。これは美味かった。当時、小生は国士舘大学望嶽寮の寮生であったが、寮の食事は麦飯に一汁一菜だったか?、そこに沢庵か生玉子がついて二菜だったか? 自衛隊は白米に副食は確かバイキング方式で自身で複数選べた。訓練に見合う体力を維持するには充分な食事の内容で、訓練後の楽しみな時間であった。ついでに、風呂はテント内に設置された野営用の風呂に入った。食事もそうだが、自衛隊の行動は常に集団行動で時間が決められており、ゆっくり湯につかっている余裕は無かったように思うが、ヘトヘトになった体を癒やすことはできた。
以上のような日程をこなし、いよいよ最終日、これは自衛隊の計らいであったと思うが、戦車への乗車を体験させて頂いた。型式は覚えていないが、体験入隊の日付からいって、当時、最新鋭の74(ナナヨン)式戦車(コラム参照)ではなかったかと思う。これまた貴重な体験であり、良き思い出になっている。
体験入隊を終え学業に戻った小生は、その後、前述したテーマを中心に、各大学の弁論大会に出場し、街頭演説も経験し、また全国遊説にも参画することになる。その際、わずか3泊4日の体験入隊であったが、経験に裏打ちされた確かな自信を得て、弁論に生かされたことは言うまでもない。相馬原駐屯地で汗を流した日々が懐かしく思い出される。