令和4年8月3日(水)
昨日は、夏の日差しをたっぷり浴びたのと、夕食のビールと熱いシャワーのお陰で翌朝までぐっすり眠った。
朝起きて、昨日コンビニで買ってきたサンドイッチを軽く腹に入れ、今日の予定をどうするかなどと弟と打ち合わせしていると、9時頃だったか、姪っ子から親父にLINEがあり早速出かけるようだ。我々はもう少しゆっくりし、10時頃ホテルを出ることにした。
▼嵐電(らんでん)起点「四条大宮」駅/終点「嵐山」駅
今日はいよいよ霊山(りょうぜん)歴史館を訪ねる予定だが、それは午後に回し、午前中は京の西の端、嵐山・嵯峨野地区にある渡月橋に行ってみることにした。
というのもホテルから数分のところに嵐山本線の起点「四条大宮駅」(写真左)があり、渡月橋へはここから電車一本で行けるのだ。この電車は通称「嵐電」(らんでん)と呼ばれており、世田谷の「玉電」(たまでん)のように民家に近い軌道面をゴトゴトと走る一両編成(一部二両編成)の路面電車である。
四条大宮駅を出発すると30分もかからずに嵐山駅に到着した。
嵐山は不思議な駅で、ホームに面して酒カフェ(写真右)があり、お酒を提供しているのである。京は酒処。入ってしまうと誘惑に負けてしまいそうなので覗くだけにした。
駅から少し歩くと渡月橋が見えてきた。
京都を代表する風景で、川面は涼しげだが今日も暑い。
渡月橋は修学旅行の定番の観光地で、小生も確か中学校の修学旅行で来たことがあり、橋のたもとで集合写真を取った記憶がある。
ここは桜と紅葉の名所で、山並みや家々の甍(いらか)が美しく、広角で見ると渡月橋を中心として全体の景観が調和している。春・秋は季候も良く京都らしい趣や味わいが感じられるようだが、夏については、京都(盆地)の特徴的な気候の故か、風が山で遮られ、蒸し暑く日差しが強い(京都の「油照り」というらしい)。ついでに言うと、小生は知らないが冬は冬でかなり寒いらしい。京は酷暑、酷寒の土地なのだそうだ。
橋を嵐山方向に渡った。
ベンチに腰を下ろし、桂川の川面を眺めながらしばらく風情を楽しもうとしたが、この暑さにはかなわない。(さっきから暑い暑いばかり言っている)
初日の投稿に書いたが、行き先の異なるバスが頻繁に橋の上を行き来している。そろそろ冷房の効いたバスに乗り込んで、今日の目的地である祇園方面に移動することにした。
▼渡月橋
バスは渡月橋を逆戻りし、金閣寺・太秦(うずまさ)地区を抜け、やがて二条城を左手に見ながら右左折を繰り返し三条通から四条通へと入ってきた(と思う)。
バスのアナウンスを聞いていると四条烏丸(からすま)から四条河原町と走ってきて、この辺で昼飯にしようということになりバスを降りた。
四条河原町は京都最大の繁華街らしく、しばらくブラブラ(フラフラかもしれない)と街を歩いてみた。道路は縦横に整備され、両側にどこまでも店舗が並んでいる。
昼飯のお目当ては京都ラーメンだ。
旨そうなラーメン屋がないかと何の情報も無く探し歩いたが、偶然にも、河原町通りから少し路地(十軒町橋通)を入ったところに「らーめん杉千代」を見つけた。
ともかく冷房の効いた店内へ入り、まずはビール。
喉を通過する瞬間、癒やされる!
昨日のことを反省し、今日は二人で瓶ビール1本だけにした。
京都ラーメンにはいくつか系統があるようだが、基本は豚骨ベースの背脂醤油味。チャーシュー麺を注文したが、空腹も手伝ってスープまで完食。後でネットを調べたところ同店は京都でも有名なラーメン店であったようだ。
小生、ラーメンの味はネットの評価ではなく自身の舌で判断したいと思っているが、久しぶりに旨いラーメンを食べたと思った。一応リンクを貼っておく。
杉千代さんを出て高瀬川を渡り木屋町通から四条通へと出てきた。
鴨川に架かる四条大橋を渡ると正面に八坂神社が見える。7世紀の中頃に創建された社で京都の人々には「祇園さん」として親しまれている。
小生の計画では八坂神社脇の高台寺(北政所「ねね」が秀吉の冥福を祈るために建立した寺院)へ続くねねの道、そして坂本龍馬が眠る霊山護国神社(霊山墓地)へ続く維新の道を経て徒歩で霊山歴史館へ行く予定であったが、早くも体力の消耗を感じてきた。
炎天下で無ければ歩くのだが、と自身に言い訳をしながらタクシーを止めた。
運転手さんに行き先を告げ目的地に直行した。坂道を登ってきたタクシーの行程を振り返ると、とても歩いてこれる道のりではなかったと思われた。タクシーは正解であった。
▼霊山歴史館正面
いよいよ霊山歴史館である。
坂本龍馬を切ったとされる桂早之助(京都見廻組)の脇差しが展示されており、それをこの眼で見ることが昨年来(2021.10.16「岡山『茂登田』の亭主殿より龍馬暗殺に関わる興味深い資料の送付あり!」参照)の念願であった。
脇差しは同館を入ってすぐの右正面に展示されていた。
刀全体に錆が生じており刃こぼれも多数見られる。血糊が錆の原因になるとされるので人を切った刀なのであろうと想像される。
その対象は坂本龍馬だったのか?
刀を目の前にして、近江屋事件(坂本龍馬暗殺)から150年を超える時の隔たりがあるにしても、歴史のロマンと言うにはあまりにも峻厳な現実に向き合っている。
自分自身は基本的に歴史の野次馬であると思っているが、ここ霊山歴史館へ来て歴史に向き合うことの面白さと厳しさとを感じている。
館内は撮影禁止となっているが、YouTubeに関連動画を見つけたので以下にリンクを貼っておく。皆様はどのようにお感じになるだろうか。
施設を出ると途端に熱い。
維新の道を下り、右手に霊山護国神社の杜を見ながら同神社の鳥居まで降りてきた。ここから右手へ行くと高台寺、左手へ行くと二寧坂(二年坂)、三寧坂(三年坂)を経て清水寺へと続く。
取り敢えず本日の目的は達成したのでホテルへ引き上げることにしたが、他に行こうと思って行けなかった新撰組関連の旧跡がいくつかある。そこへは遠くない将来、再び京都に来ることになるだろうと考えているので、その時のために取っておくことにした。ただし、シーズンは秋か春にしようと思っている。
例によって夕食は姪っ子と合流した。
今日はネットで調べた宿から近い居酒屋さんに繰り出した。まわりの京都弁に心地よさを感じながらアルコールと摘まみで空腹を満たした。
今日の小生の万歩計のカウンターは5000歩強、姪っ子は約15000歩とのことであった。