隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

年末の雑感2_「リンダ」さんのこと他!

横浜市立六角橋(ろっかくばし)中学校

 12月に入って直ぐに大掃除に着手し、併せて年明け早々にお袋の七回忌を迎えることもあり、三回忌に整理できなかったお袋専用の収納庫の整理(第2次)をしていたところ、小生と弟が横浜市六角橋中学校(通称「六中」)に在学していた頃の「六中時報」(生徒会新聞)及び「PTA六中」(PTA広報紙)なる印刷物が奥の方から出てきた。一緒に出てきたノート類の書き付け等を見ていると、この頃のお袋はPTAの役員として広報関係の仕事に関わっていたようである。

 印刷物は、昭和42(1967)年から同47(1972)年までのタブロイド判の新聞13部で、全てセピア色に色褪せており歳月を感じさせるものがある。

 手を止めて紙面を眺めていると、懐かしさからついつい引き込まれてしまう。
 今まで投稿したブログの中で、自身の出身中学のことについてはあまり触れてこなかったと思うので、紙面から思い出される二つのことを取り上げてみたい。

 まず一つ。
 昭和45年3月8日発行の「PTA六中」の紙面、「先生方の横顔」に掲載されている「大貫先生」から思い出されることについて触れてみる。

 同先生は小生が中学校1年次の英語の先生であるが、小生が英語が好きになった切っ掛けともなった先生である。その大貫先生が授業中に余談として話してくれた今でも忘れられない話がある。それは、小生等の入学と入れ替わりで六中を卒業された「山本あつ子」さんのことであり、誰あろう、後の歌手・タレント「山本リンダ」さんなのである。

 大貫先生はやはり英語の授業でリンダさんを担当されたのだそうだ。
 中学当時、既にファッションモデルであり(家計を支えていたそうだ)、中学を卒業すると「こまっちゃうナ」で歌手デビュー。スタイルが良く歌が好きで、いつも颯爽と歩いているような子だった!、という風なことを話されていた記憶がある。

 そのリンダさんの実家が我が町内会(神大寺北町自治会)の区域内にある。小生の家から10分圏内で、中学の先輩であり、町内で最も有名な芸能人なのである。

 もう一つ。
 昭和46年3月1日発行の「PTA六中」の紙面に掲載されている「クラブだより」についてである。その中の卓球部顧問、宮崎先生の記事に「昨年、男子ダブルスで市大会優勝~」とクラブの実績が記されているのだが、何を隠そうこのダブルス優勝者は、相方のS君と小生なのだ。

 小さな記事だが、収納庫に眠っていたセピア色の新聞紙面に、かつて卓球に熱中した中学時代の大会結果がわずかに記録されている箇所を見つけ、その様な時代もあったのだと、しみじみと感慨に浸る自分がいるのである。

 他愛もないことを書いた。

 年末までに片付けなければならないことがまだ沢山ある。

 もう少し作業に集中することにしよう。