川和高校同窓会から「緑和会」総会の案内状が届いた。
葉書一枚で、何か懐かしさが湧いてくる。
母校とはよくいったもので、小生の場合、高校にしても大学にしても振り返ってみると、確かにそこで育まれたような感覚がある。それだけ濃厚な学生生活を過ごしたということか。
現役時(国士舘職員時代)、ごく親しい職場の同僚が、川和高校のすぐ裏手に所帯を構えたので、この周辺にはちょくちょく来ていた。川和富士の山頂でバーベキューをやったこともある。
我々の高校時代、この辺りは確か緑区(その前は港北区)であったが、現在は行政区再編により都筑区となっている。周辺の環境もずいぶんというか、劇的に変わった。当時は横浜のチベットなどと呼ばれていたが、今は港北ニュータウンである。
そう言えば、つい最近ネットの情報で知ったことだが、現在の川和富士は以前の川和富士の位置ではないようだ。港北ニュータウン建設のため、今より川和高校に近いところにあったものを現在地へ移転したとのことである(ん? 山を移転できるのか?)。
それで納得した。
かつて川和高校に約7~8キロのマラソンコースが設定されていた。トレーニングでしょっちゅう走っていたので、今でも頭の中におおよそのコースが描ける(現在の地図上では描けないが…)。
正門を出て自動車道を右方向にまっすぐ走り、T字路を右折し更に走り、途中を右折、人家もまばらで舗装もされていない田舎道をひたすら走り、芝山を経由し川和富士まで来れば、もう高校は目と鼻の先、であったはずだ。
どう考えても小生の知っている川和富士は現在の位置ではない、と思っていたのでようやく合点がいった。
まさか川和富士が移転していたとは…。
それにしても当時の川和富士は草木に蔽われ、山全体の輪郭もわからないようなうっそうとした小山であったが、立派な公園になったものだ。山頂から富士山が望めるらしいが、富士山大好き党としては一度、写真に収めてみたいものだ。
横浜市営地下鉄ブルーライン、グリーンラインも開通し、高校へのアクセスも格段に良くなった。何しろ通学バス(横浜3系統)の経路である横浜上麻生道路が全線舗装されている。今、チベットなどと言ったら怒られてしまいそうだ。
同窓会について話そうと思っていたが、思わぬ方向へ話しが進んでしまった。
小生、古い卒業生で母校には足も遠のいているが、野球部が県予選の何回戦まで進んだとか、ダンス部が全国大会で入賞したとか、新聞紙面やWeb上に川和の記事(リンク参照)を見つけると、思わず感情移入してしまう。母校にはますます活躍して欲しいと心から願っている。
さて、末尾になるが、現役の後輩諸君に対して、「お~いなる、お~いなる、エールを送る!」。
コレ、在学時にいつも耳にしていた川和高校応援団(今もあるのかな?)が発していたフレーズ!
後輩諸君の健闘を祈る!
押忍!