写真の整理(データ化)にまだ本格的に着手できないでいる。
何せ30冊弱のアルバムとファイリングされていない写真も相当ある。
全体を把握するために、事前準備のつもりで少しずつアルバムを開いていくと、封印を解かれたように古く懐かしい写真が出てきて手が止まることがある。
我が家は、小生がまだ幼稚園に入る前、同じ神大寺町内で一度引っ越しをしている。
後年、お袋に聞いた話では、最初の家の立地が北向き斜面で日当たりが悪く、小生が風邪をひくとなかなか治らなかったようで、それが理由で現在地へ引っ越したとのことだった。因みに、小学生になってから知ったことだが、小生この頃、猩紅熱に罹患している。
写真は両親が最初に住んだ家の庭先である。玄関のすぐ前に共同の井戸があったことを覚えている。写真裏面に親父の筆跡で昭和32年5月3日の日付があり、同年2月に弟が生まれているので、兄弟の端午の節句(鯉のぼり)の準備をしてくれているのであろう。
昭和30年代の神大寺は、横浜の中心部からそんなに遠く離れているわけではないのに殆ど農村地帯(Wikipediaによる)であり、当時、鯉のぼりを上げている家は、たいてい農家が多かったように思う。写真奥にも鯉のぼりが見えるが、同家も広い土地を持つ農家である。
勝手な想像なのだが、我が家の鯉のぼりは、恐らく親父の相当の思い入れがあったものではないかと思われる。
親父の職業は警察官であったが、これも後年であるが、当時の公務員の給与は安くて苦労したようなことをお袋が言っていた記憶がある。(実際の当時のサラリーマンの給与水準がどうであったか調べたわけではないが…。)
もう親父もお袋も鬼籍に入っているが、我々兄弟の成長を願ってくれていたのだろうと感謝の気持ちをもってしみじみと写真を眺めている。
仏壇の両親及びご先祖様の位牌には、朝な夕なに香を焚き手を合わせているが、いつも感謝の意を伝えているところである。