隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

神大寺小学校の卒業式に寄せて


 先般、神大寺小学校から、令和3年3月19日に令和2年度_第60回_卒業証書授与式を、参列者を限定して実施する旨のご案内をいただいた。コロナ禍、出席者は、卒業生と職員、保護者各家庭1名、PTA会長とのことであった。

 小生は、昨年から町内会活動の一環として、小学校と連携した学援隊ボランティアの活動に携わっており、本日の卒業式当日は、ちょうど通学見守りの当番の日であった。

 卒業生たちは、下級生と異なり、見ればすぐわかるほどにオシャレをしていて、中には羽織袴の子、着物姿の子もいたのには驚いた。いつもは「おはよう」の挨拶に、「行ってらっしゃい」と声をかけるのだが、この日は「おめでとう」と声をかけると、会釈であったり、「ありがとうございます」と返してくれたりして、6年間の成長の跡とともに、何か頼もしさを感じるのであった。

 そして一日(いちじつ)が過ぎ、彼ら彼女たちは、希望に胸をふくらませて旅立っていったであろう。あらためて、心から「おめでとう」と言いたい。

 以前の投稿で、小生も同校の卒業生である旨を書いたが、計算してみると第6回の卒業生になるようだ。そこでこの日に因んで、思い出を一つ述べてみたい。50年以上遠い昔のことになるが、今でも忘れられない卒業式の一場面がある。

 小生の担任はK先生(男性)という、それはそれは形容詞を幾つ重ねても足りない位の大変厳しい先生であった。そのK先生が、卒業式で一人一人卒業生の名前を読み上げるのだが、途中で感極まり嗚咽となり、それを2組担任のM先生が引き取り、私たち1組全員の名前を読み上げて下さった、という光景である。その場の私たちも同様に感情が頂点に達し、胸の奥底からこみ上げてくるものがあったと記憶している。

 古き良き時代に、厳しくも愛情溢れる良き師のもと、一緒に卒業した友等と思い出深い少年時代を過ごし、今日に至っていることをかみしめている。

 蛇足であるが、卒業記念に頂いた湯飲み茶碗(写真)は今でも愛用している。少し欠けているが一生使うことになるであろう思い出の品である。

 

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R3.3.19_神大寺小学校卒業証書授与式

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S42_神大寺小の卒業記念に頂いた愛用の湯飲み茶碗