隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

神大寺_都会に近い田舎


 「ハマッ子」を自認している。
 当然、横浜市歌は歌える。
 もう少し地域を限定すると地元神奈川区神大であり、横浜ヒエラルキーの頂点とも言われている中区・西区の周辺に位置する、都会にほど近い田舎であると思っている…。

 神大に生まれ育ち、若い頃の一時期を除き50年以上ここに住んでいるが、現役時、勤務地の関係で、仕事も遊びも東京であったせいか、意外と地元に疎いところもある。
 そこで、引退を機に、また昨年来のコロナ禍で遠出を控える中、改めて地元を見つめ直してみたいと思う。

 Wikipediaによると「神大寺」の項に「昭和30年代までは横浜の純農村地帯で30戸ほどの農家が里山の根などに集散し、江戸時代から稲作や畑作が盛んに行われていた」とある。

ja.wikipedia.org

 小生、昭和36年神橋小学校(六角橋)の分校から、正式に神大寺小学校として開校した年に同校へ入学した。

 当時の小学校周辺の様子はといえば、Wikipediaのとおり、まさに農村地帯であった。

 小学校敷地のすぐ北側(今のバス通りの北側歩道あたり)に小川が流れており、小学校前のバス停「日枝橋」はその小川に架かっていた橋の名残である。

 小学校の東側は現在のJA横浜から土木出張所の先まで、西側はファミリーマートから片倉町駅当たりまで田んぼが続いていた。

 南側はといえば、現在は片倉台団地となっているが当時は小高い丘で、ここら一体は一面畑雑木林であった。

 写真でもあればと探してみたが、当時まだカメラが普及している時代でもなく、小学校の卒業アルバムから1枚切り取りして掲載する。小生の場合、この1枚の写真を見るだけで幼少期の思い出が懐かしさと共によみがえってくるのである。

 さて、ものの本、或いは識者によると、神大寺の地名はかなり古く戦国期にまで遡るようだ。この地域の歴史についても今後の話題にしていきたいと思う。

 

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南側斜面から望む神大寺小学校(S40年頃,卒業アルバムより)

 

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