隠居歳時記

もう隠居? 否、自分流の隠居道を探求中!

EOSの日_千年の古都を歩く!(初日)


 令和482日(火)
 久しぶりの京都である。

 前回訪れたのは3年前、国士舘高校甲子園に出場した年だ。偶然にも甲子園球場で再会した大学時代の同級生A君(大阪府警OB)の案内で、帰路、京都に立ち寄り、短い時間の中で壬生(みぶ)の新撰組屯所跡八木邸を訪ねた。

 今般の京都の旅の主たる目的(テーマ)もやはり「幕末維新の旅」で、以前ブログに書いた坂本龍馬を切ったとされる刀が展示されている霊山歴史館(りょうぜん)を訪ねることにあった。

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 実はこの旅は、京都旅行を計画していた姪っ子のに、その親父(小生の実弟国士舘高・国士大OB)と共に便乗したものだが、姪っ子は姪っ子で旅行計画書のようなものを作り綿密な計画を立てているようで、夕食以外は完全に別行動ということにした。当方にとってもその方が好都合で、自身のペースで生きたいところへ行ける。飲みたいときに飲める?というものだ。

 2泊3日の旅程なので小生も一応の計画は立てたが、最低限行きたいところへ行った後は行き当たりばったりの気ままな旅である。

M's PLUS(エムズプラス)四条大宮


 京都駅には昼頃着いた。
 姪っ子は早速別行動。

 我々は、まずは姪っ子が予約した四条大宮駅阪急京都線)から歩いて数分のM's PLUS(エムズプラス)四条大宮という格安のホテルに向かい、チェックインの時間まで荷物を預かってもらうことにした。

 偶然にも、ホテルから前回訪ねた壬生へは歩いていける距離である。初日の午後は同地を再度訪ねてみることにした。

 壬生新撰組発祥の地である。

 壬生八木邸前川邸(非公開)は、それぞれ水戸派の首魁である芹澤鴨他の粛正劇や新撰組の良心ともいわれた山南敬助の脱走による切腹(「局を脱するを許さず局中法度)が行われた場所である。前川邸は公開されていないが、八木邸には暗殺時の刀傷が生々しく残っていて往時の戦闘の激しさを偲ばせる。

 八木邸に隣接する壬生寺は、よくドラマなどの一場面にもなっているが、沖田総司が子供達を集めて遊んでいた等の逸話が残っている。

八木邸(門を入った右手)

前川邸(非公開)

壬生寺

 

 チェックインまでにはまだ十分時間がある。

 一旦、四条通方向に戻ってきて、明日回る予定の霊山歴史館がある祇園方面に行ってみることにした。炎天下、タクシーという手もあったがバス1日券(700円)を買ってバスで移動してみることにした。バスは京都市バス、京都バス、西日本JRバスがあり、バス1日券があればいずれも乗り放題。京都中を隈無く走っており、バスの路線を知ると京都観光が面白くなるかもしれない。

 いざ乗り込んで走り出すと、アナウンスでこのバスが銀閣方面に行くことがわかり、急に気が変わって銀閣に行ってみることにした。行き当たりばったりの気まま旅だ。

Cafe & Bar Bearでビールを2杯


 銀閣寺通バス亭で降りて、昔来たことのある「哲学の道」に沿って歩き始めたが昼食をとっていなかったので、ちょうど通りかかった喫茶店風のお店(「Cafe & Bar Bear」)で軽く食事をすることにした。くまのぬいぐるみを沢山置いた面白い店だったので後でネットで調べてみると、応対してくれたママさんは店長であり現役の東映の俳優さんであるとのこと。それはともかくとして、女性の京都弁は非常にやわらかい響きで、京都に来た!ということを感じさせてくれる。

 熱い中移動してきたので、まずはビールということになった。1杯で止めとけばいいのに2杯。この後の行軍の足の重いこと重いこと。銀閣寺まで数百メートルだが、弟は脱落。参道途中の店舗で小生を待つことになった。

銀閣寺橋


 小生は意を決して銀閣寺へ。

 銀閣寺の正式名称は東山慈照寺(じしょうじ)。
 慈照は室町幕府八代将軍足利義政法号である。御台所は応仁の乱を招いたとされる日野富子。昔、日本史の授業で「人の世むなし(1467)応仁の乱」と覚えた記憶がある。小生の世代の大河ドラマ花の乱」では義政を市川團十郎が、日野富子三田佳子が演じた。今でも中世を感じさせるオープニングの曲(旋律)を覚えている。義政は、生涯をかけて自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げた。
 義満金閣寺と対比されるところだ。

銀閣



 銀閣寺では総門から中門に入り庭園を半周し、更に山を登った。山頂の展望台を経て、大回りで境内を1周した。炎天下であり、ビールも効いてくたくたになり寺院をあとにした。

 途中、弟と合流しホテルに向かうこととしたが、もはやバスに揺られて帰る気力は無かった。参道を下ってくると、我々の気持ちを見透かしたように観光客を待つタクシーの列があり、言うまでも無くタクシーに乗り込んでホテルに向かった。

 夕刻、姪っ子と合流し、ここでもビールを飲みながら京都の寿司を堪能した。
 今日歩いた行程などを話題にしながら携帯の万歩計を見ると小生は約1万歩弱。姪っ子は2万歩を歩いたようである。若さには勝てない。

 以上で京都の一日目を終えた。

 

 

第11世代 Kindle paperwhiteに更新!

11世代 Kindle paperwhite


 いつか更新することになるだろうと思っていたが、先月、遂に購入した。
 第11世代(2021年発売)Kindle paperwhiteシグニチャーエディションである。

 従来、第7世代(2015年発売)の同機を使っていて、全く不満は無かったが、第11世代は「かつてない最高のKindle paperwhite」とのふれこみ。フルフラット画面の大型化(6.8インチ)、明るさ自動調整、色調の調整も、防水、等々。

 昨年の発売日からずっと考え続けていた。
 新しい機種は欲しいが、現在使っている機種をどうするか? お払い箱となってしまう古い機種には何か申し訳ないようで、そこだけがネックだったのだ。しかし、基本的に新し物好きでとうとう決心し購入することになった。

 思えばFireタブレットAmazonバイス)の時もそうだった。
 動画視聴用にFire HD8を導入し、その後、新機種のFire HD8 PLUSに切り替えた。この時も迷ったが、迷った末に購入した。だがこちらの方は、片方を充電している間、もう片方を使うというように両者ともFull活用している。

 Kindle paperwhiteはといえば、購入から約1ヶ月が経つが、旧機種は完全にお蔵に入ってしまった。なんせ新機種は、Full充電すると毎日数時間の読書をしても1ヶ月以上充電する必要がないのだ。それに使ってみてわかったが、さすが「かつてない最高のKindle paperwhite」だけのことはある。格段に使い勝手が良く、元に戻れなくなってしまった。

 そう言えばKindleを導入する時も同じような思いをしたことを思い出した。当初、果たして電子ブックによる読書になじめるか? という大きな疑問があった。現役時、業務でパソコンを使っていたことからペーパレスの意識はあったが、「本」は基本的に「」で読むもの(紙派)と思っており、単なるガジェット(電子機器小物)好きから、最初は「どんなもんだろうか?」「使いにくければ誰かにあげてしまえばいい!」程度の好奇心だけで買ってみたようなものだ。
 ところがこれが、すぐに違和感は無くなり、いつの間にか100%Kindle読書に移行してしまったのである。

 使ってみれば、文字Pointは自由自在(老眼にはこれが一番ありがたい)。余白・行間・明るさ・フォントも変更できる。紙と同様、メモができる。付箋紙もマーカーも使わずハイライト(マーキング)が設定できる。等々、数多くの利点がある。
 欠点は思いつかない(電気が無ければ読めないぐらいか。それとたまにKindleに対応していない書籍があるがリクエストすると対応してくれる)。

 それに、わずか200gの端末(32ギガ)に数千冊を保存でき、それ以上となればクラウド上に置くこともできる。現在、小生のKindleには374冊の書籍が収まっているが、5年間でダウンロードした冊数がこの数だから、これから一生のうちに読む本は余裕でこの一台に収まってしまうかもしれない。

 また、これも使ってみて気がついたことだが、Kindleは複数の書籍を同時並行で読むことができる。「紙」の本を読んでいる頃は、(小生の場合)1冊を読み終えたら次の1冊というように、完全に1冊を読了してから次の書籍に取り掛かったものだが、Kindle読書だと複数の書籍を同時に読んでも違和感が無いのである。これは小生に限ったことかもしれないが、374冊のうち未読(読了していないの意)の本が66冊あり、現在この内の何冊かは同時併行で読んでいる(TPOを変えてだが…)。このようにKindleは、以外にもフレキシブルな読書に対応できることに気付かされた。

 いずれにしてもKindleは、後戻りが出来なくなってしまうような優れた情報機器なのだ。第11世代に更新して、小生にとってますます無くてはならないツールになってきたようだ。

 本稿は第11世代Kindle paperwhiteを導入し、1ヶ月使用したレビューのつもりだったが、今後も何か気がついたことや思いついたこと、また現在読んでいる「本」についてもレビューを書いてみようと思う。

 

 

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EOSの日_頼朝公眠る鎌倉雪の下の法華堂跡を訪ねて!


 日曜日のささやかな楽しみは「笑点」と大河ドラマ鎌倉殿の13人」を見ることだが、ドラマの方は「頼朝」の死により長い序章が終わり(第26回: 前々回)、二代目「頼家」体制(「鎌倉殿の13人」体制)がスタートした(第27回: 前回)。

 そして以前にも書いたが、いよいよ幕府内の権力闘争が激化し「仁義なき戦い」へと突入していきそうな展開となってきた。

 次回?の中心人物(最初の粛正の対象)となるであろう、イメージからしてぴったりの配役である中村獅童演ずる梶原景時について少し触れるが、この御仁、小生現役時、国士舘大学21世紀アジア学部で関わった梶原景昭先生のご先祖様なのである(系譜はよくわからない)。そんなことからドラマで梶原景時を見ていると、楽しくもあり辛くもあった「21アジア」の時代(6年間)をつい思い出してしまう。同時代のことについては何時か書くかもしれない。以上は余談。

 頼朝の死については歴史上、落馬によるものとされているが、鎌倉幕府の公式の歴史書である『吾妻鏡』にその詳細な記録がない(欠落している)。何らかの理由があったはずであるが、当時の鎌倉に公式記録として残せないようなどのような事情があったのか、興味をそそられるところだ。

 諸説ある中で、背景にある源氏(頼朝)と東武士団との確執(いわゆる「暗殺説」)に興味を持ち、一時期、関連本を読みあさったが、妥当な解釈としては、三谷さんが脚色しているように「飲水(糖尿)の病」なのか、そこから来る脳卒中 or 心筋梗塞なのか、おおよそそのような急な病だったのではないかと素人判断している。

 そんなことを考えながらドラマの展開に触発され、昨日、久しぶりに鎌倉雪の下の頼朝公の墓所を訪ねてみようと、横浜新道、横横(横浜横須賀道路)を飛ばし、朝比奈インターから鎌倉へ向かった。

 山ノ内地区(北鎌倉方面)へ行くには手前の港南台インターで降りるが、この日の目的地である雪の下地区の頼朝公を祀る白幡神社、法華堂跡(墳墓堂)へ向かうにはこちらのインターから金沢街道六浦道)を行くと時短になる。

 鎌倉は京都と並び魅力に溢れる土地で、どこへ行っても雰囲気がある。ここの空気を吸いながら史跡を巡るとそれだけで歴史(中世)を感ずることが出来るような気がするのだ。この日は平日で、ましてや墳墓を巡るなどのマニアックな人は少ない中で、行き交う方々は女性ばかり。世に言う歴女? 男性が少ないのはちょっと寂しい気がした次第。

 それではEOSにより、今回巡った史跡をご案内しよう。


大蔵幕府跡
 碑は鶴岡八幡宮の東側、清泉小学校の西側角に位置し、この碑を中心に鎌倉幕府将軍(鎌倉殿)の御所があったとされる。後ろの清泉小学校の掲示板に史跡委員会名で(小学生によるものか)手書きの説明書きが掲示されており、この小学校が鎌倉の歴史を大切にしていることがよくわかる。


白旗神社
 白旗は源氏の旗印。白旗神社は明治期の神仏分離の政策により法華堂と分けて創建されたものである。御祭神は源頼朝公。左写真の奥、急階段を登ると頼朝公の法華堂(墳墓堂)跡・墓所に至る。


頼朝公「法華堂」跡頼朝公墓所
 鎌倉時代の墓地や墓石、埋葬に関する考え方は今日の日本の習慣とは少し異なっていたようだ。当地にあったと推定される法華堂(墳墓堂)が当時の頼朝公の墓とされていたようで、右手墓所(供養塔)は、江戸期(安永8(1779)年)に薩摩藩島津重豪(しげひで)により建立されたものである。


北条義時「法華堂」跡
 頼朝公の墓の東側に鎌倉幕府二代執権北条義時の法華堂跡がある。平成17年に行われた発掘調査により、一辺が8.4mの方三間の建物跡が確認され、『吾妻鏡』の記事が実証された。



三浦一族が供養されているやぐら法華堂奥の高台にある大江広元墓所
 北条義時「法華堂」跡地の奥に、ずっと後年の宝治元(1247)年、宝治合戦(北条氏・安達氏 vs 三浦氏)で三浦泰村以下500人が頼朝「法華堂」にこもり自決した三浦一族の墓所(やぐら)がある。これにより相模の名族三浦氏は滅亡した。更に、義時「法華堂」跡地奥の高台に「鎌倉殿の13人」の一人、大江広元他の墓がある。

 

 

 

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EOSな日_全国高校野球選手権神奈川大会/川和高校初陣!

スコアボードは8回終了6対5! 残すは9回の攻防!

 令和4710日(日)
 この日、参議院議員選挙投票日。

 午前中に投票を済ませ、午後から全国高校野球選手権神奈川大会の1回戦、母校川和高校vs戸塚高校の試合をテレビ観戦(応援)していた。我が母校は1回裏で3点を取ったものの、その後、取られ取っての1点を争う攻防戦。見応えのある試合が展開されている。
 実はこの日、球場に足を運ぼうかとも思っていたが、大相撲(名古屋場所)の初日でもあったことから、クーラーの効いた部屋でテレビ観戦を決め込んでいた。ところが試合は一進一退の好試合。6回の途中まで我慢したが、ウズウズしてきて「ちょっと行ってみよう」と心を決め車を飛ばした。試合会場はサーティーフォー保土ケ谷球場なので、横浜新道を飛ばせば30分以内で行けるだろうとふんだ。

 8回裏に着きダッシュで球場に入った。

 いきなり、足下から湧いてくるような球場のどよめきを味わった。ストライク一つ、アウト一つ取るごとに球場全体がどよめく。これこれ! テレビ観戦との違いはこれだ。6対5で勝っている。あとは9回の表を守れば勝ち!

 シャッターを切りながらも目はピッチャーとバッターにくぎ付けだ。ついに最後のバッターを打ち取り川和は勝利をものにした。球場は歓喜の嵐である。

 お互いに栄誉をたたえ試合終了。
 礼に始まり礼に終わる。この光景がいい。

 母校の校歌を久しぶりに聞いた。

 高校を卒業して50年。
 所々忘れているが、ほぼ歌える。
 特に最後のフレーズで気分は最高潮に達する。「川和よ川和よ嗚呼川和高校」。

 来て良かったと思う瞬間である。


 

 

 

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国士舘OB列伝_あの悲報から32年(三十三回忌)! 国防部OB田中崇志先輩を偲ぶ!

田中崇志遺稿追悼集「日本の子」

 前回の投稿から2週間以上が経過した。

 重いブログテーマと向き合っていて筆が進まなかったことと、もう一つは現在関わっている町内会ホームページの充実化に対応していたことがこの空白の理由である。

 後者についてはご関心があれば現物URL参照)を見ていただければと思う。
 何の変哲もないHPだが、町内会チーム(ICT部改め「デジタル広報部」と称する)の面々と取り組んだ、一応力作のつもりであり、今後更に、町内会の「見える化仕事における問題を常に見えるようにすることで、問題が発生してもすぐに解決できる環境を実現し、さらに問題が発生しにくい環境を実現するための取り組みを図るために、グレードアップを図っていきたいと考えている。

 束縛のない隠居生活、何でも適当(いい意味で)にやればよいのだが、入れ込むと没入するところは長所であり短所であると思っている。
■CONTENTS - kandaiji-kitachou ページ!

 さて、前者について…。
 ブログ原稿の作成に着手したのは昨年の今頃のことであり、今でもこの「はてなブログ」の下書きのサイトに書きかけの原稿が眠っている。

 小生が若い頃、最も影響を受けたある先輩の生き様と「」(自死)について書こうとしたが、テーマが重すぎてどうしても原稿がまとまらなかったのだ。

 実は、今年は同先輩の三十三回忌平成2年6月12日命日)に当たる。
 そういえば32年前もそうだった。
 追悼集(冒頭の写真参照)を出版するということで原稿を求められたが書けなかった。
 テーマが重すぎてと書いたが、もっと正直に胸の内を明かせば心の中でその「死」をずっと封印してきたのだ。そのことに触れないように心を閉ざしてきたのである。

 年月を経て昨年、三十三回忌を期して何らかの総括をしておきたいと思ったのだが、やはり、原稿着手から1年を経た今日でもほとんど何も書けないでいる。頭の中では数々の思い出がグルグルと回っているのだが…。

 何故か。
 恐らく心の何処かで(言葉では)書き尽くせないと思っているのだと思う。
 今後も書けないであろうと予感しているので、せめて最低限の記録を残しておこうとキーボードをたたいている。

 ここまで書いてきて、まだ何も書いてないではないかとも思うし、パラドックスであるがもうこれ以上書かないでおこうとも思っている。後者の気持ちが強い。すべてを忘却の彼方において、ただ「田中崇」という(おとこ)が国士舘にいたということのみを小生の歴史(記憶)とこのブログに刻んでおこうと思う。

田中崇志先輩経歴
 ・学歴:  島根県立太田高等学校卒業(S44.3)
       国士舘大学法学部卒業(S48.3)
 ・倶楽部: 国防部 大民塾主宰
 ・勤務:  目白学園高等学校教諭(新宿区)
 ・余技:  柔道三段 居合道二段
 ・逝去:  平成2年6月12日 享年39歳

 

三軒茶屋すずらん通り割烹にて
 平成2年の夏と思われる。堀田先輩(前列左/伝拳初代)の呼びかけで有志が集まり偲ぶ会を催した。


H4.9.27_
田中崇志先輩の墓前にて
 墓所は田中先輩の実家から程近い島根県仁摩町馬路、鳴き砂で有名な琴ヶ浜に面した処にある。眼前には日本海が広がっている。右隣は実弟の淳司大兄で小生とは国士舘同期生。体育学部レスリング部OBである。


馬路琴ヶ浜にて


出雲大社にて


雑誌ゼンボウに寄せられた郡順史先生の追悼文
 郡先生(明大OB)は主として武士道を題材にした歴史作家であるが、田中先輩他とグループでお宅を訪ね、酒を酌み交わしたことがある。平成27年、鬼籍に入られた。

 

 

酒と肴_今年初めて町田・柿島屋へ繰り出した!

開店直前の柿島屋午後4時5分前

 今年初めての柿島屋だ(R4/6.7)。
 以前、年に1回は行きたい店と書いた。

 本当は雛祭り前に来て柿島屋のお雛様を見たかったのだがコロナ禍、店はクローズされたままだった。いつも複数で来るが、この店は一人でも入りやすい店で、この日も一人で酒に向き合っている御仁が其処此処におられた。

 何時だったか小生も一人で来たことがあるが、Kindle読書に没入し(呑読)、一通り食って呑んでサッと引き上げる。引退してからはそういう粋な呑み方をしたいと何時も思っている。

 この日は二人で来た。
 両者とも常連まではいかないが馴染みの店なので流れはいつものとおり。
 まずは麒麟ビール
 次に梅割り
 これが危険飲み物でこの日はお互い二杯までとした。(6.11追記: komu-chanでさえ5杯飲んだら危ないと言っている!)


 そして定番つまみ
 つまみを紹介しよう。
 左から馬刺し大和煮メンチ肉皿チョリソ
 すべて馬肉だ。


 暫く飲んでいて、ふと気がつくと小生等もそうだが、回りの方々も静か~に飲んでいる。普通、会話が漏れ聞こえたりするのだが、グループ客の声も聞こえない。まだ早い時間帯であったこともあるが、コロナ禍、そのような飲み方が身についてしまったのかもしれない。

 静かに飲んで静かに議論して90分。
 もう少し飲もうということになり、河岸を変えることになった

 
 吉田類氏の番組(「居酒屋放浪記→6.11訂正「酒場放浪記」)で紹介された小田急町田駅から程近い居酒屋初孫」へ行ってみた。店の前にいた女性STAFFに空席があるか確認したが、あいにく満席のようだった。残念。

 しょうがない。
 次に寿司屋を探した。
 下高井戸旭鮨」の支店が町田にあるとのことで小田急ビル上階のレストラン街へ向かった。鮨を食いながら昔のことを思い出した。

 旭鮨本店は、世田谷線高井戸駅の真正面にあるのだが、学生時代からよくクラブ等の会合に使っていた。色々な思い出がある中でまず脳裏に浮かんだのは、決してブログには書けないようなネガティブな思い出だったのでここでは触れないことにする。
 昔のことを書き残しておこうとは思っているが中には書けないこともある。そのことをヒソヒソと話しながらここでも静かに呑んだ。

 7時を回ったのでそろそろお開き。
 綺麗に呑んで、酒の飲み方が達人の域に近づいてきたかもしれない !?

 

 

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YouTube番組で川和高校時代の同級生発見 !?

 例えばウクライナ情勢について詳細な情報を得ようとするとき、地上波の報道は全く満足いくものではない。BSの反町氏(フジ)や松原氏(TBS)などのかなり纏まった時間の報道番組などはまだましな方だが、それでもゲストやコメンテーターの発言に傾きを感じたりすると見る気もしなくなる。

 必然的にネットに流れることになる。

 ネットは玉石混淆であるが、結構面白い番組が少なからずある。個人の見解であるが、その中の一つが「チャンネルくらら」であり、小生にとっては興味深いテーマを扱ってくれる。

 国士舘関係者であればご存知かもしれないが、同チャンネルは21世紀アジア学部等で非常勤講師を担当されていた倉山満氏の関係する番組であり、小生も現役時の一時期、同氏の近くで勤務していたこともあり、良く存じている方である。

 因みに同氏は、中央大「辞達学会」(いわゆる弁論部)OBであり、上念司氏(「ガォー!」:知っている人は知っている)の後輩になる。

 最近、このチャンネルで連載している「陸・海・空 軍人から見たロシアのウクライナ侵攻」という番組があり、昨日、第6回目を視聴した。

 陸自代表が小川清史元陸将(日本安全保障戦略研究所上席研究員)、海自代表がコメンテーターとしてよく地上波に出演している伊藤俊幸海将(金沢工大教授)、そして空自代表が小野田治元空将(ハーバード大シニアフェロー、日本安全保障戦略研究所上席研究員)である。三者とも防衛大卒である。

 実は昨日、同番組を見ていて、まだ100%の確信が持てないでいるのだが、三人目のパネラーである小野田治氏は小生の高校時代の同級生ではないか?とハタと気がついたのだ。しかもかなり親しかった。

 高校時代は野球部だったのでボウズックリの彼しか知らない。面影はかすかにあるような…。声を聞いても確信には至らない…。ネットを調べたが出身高校が掲載されていない。ただ、防大卒、同学年、氏名からして高確率で本人に間違いないであろう、と思っている。

 いやいや驚いた。
 空将といえば「閣下」ではないか。
 (ちょっと俺の感覚は古いか?)

 しかし、第1回から視聴しているのに今頃気づくとは…。

 番組は自分的には非常に面白い。
 専門の知見に基づく論調であり空理空論ではない。

 引き続き視聴していこうと思うが、今日は番組の紹介とそこに登場するパネラーが同級生ではなかろうか、と気づいたところまでにしておいて、もし彼と連絡が取れるようなことがあればこの続きを書きたいと思う。

では。

 

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